目次
追いつめられる日本(1943.3-1945.1)
ニューギニアの戦い
1943(昭和)18年になると、日本軍は敗色が濃くなっていきます。ガダルカナル島などがあるソロモン諸島の西に位置するニューギニア島では、島の南東部にある、オーストラリア軍とアメリカ軍の拠点都市ポートモレスビーを攻めていました。
しかし海、空、陸からのいずれの攻撃も成功することなく、次第にアメリカ軍・オーストラリア軍に追い詰められていきます。 残った日本軍はニューギニア島の高地にこもって終戦まで戦いを続けました。補給は途絶え、自給自足を強いられたこの方面での日本軍の犠牲は13万人にのぼると言われています。
【詳細ページ】
山本五十六長官戦死
1943年4月、山本五十六(いそろく)連合艦隊司令長官は前線の兵士の士気高揚のために、ブーゲンビル島などを視察に行く計画を立てました。
部下は危険な前線への視察に反対しましたが、山本長官たっての希望で実行されました。この計画は暗号電文の解読によってアメリカ軍に正確に察知されており、山本長官機は待ち伏せの攻撃機に撃墜され、墜落現場で長官の死亡が確認されました。
真珠湾攻撃の成功以来、連合艦隊の作戦立案の中心であり、また日本軍の精神的支柱であった山本長官の死は、日本にとって戦略的、精神的に大きな打撃となりました。
太平洋の島々の相次ぐ「玉砕」
続く5月には、日本軍に占領されたアメリカ本土であり、北方のアリューシャン列島の島であるアッツ島にアメリカの大軍が押し寄せました。
日本軍守備隊は抗戦ののち、全員突撃して戦死することを意味する「玉砕」(ぎょくさい)を大本営より命じられました。2500名の守備隊はほぼ全滅しました。
その後、11月にはソロモン諸島北方のギルバート諸島のタラワ島、マキン島等の守備隊が玉砕。
ギルバート諸島の東に位置するマーシャル諸島も攻められ、1944(昭和19)年2月に日本軍守備隊は玉砕します。このように、アメリカ軍は日本に至る太平洋の島々を徐々に攻め潰していきました。
【詳細ページ】
マリアナ沖海戦とサイパン陥落
太平洋の島々を陥落させたアメリカ海軍の次の大きな目標はフィリピンのはるか東に位置し、サイパン島、グアム島等を抱えるマリアナ諸島でした。
マリアナ諸島から飛び立てば、新型爆撃機B-29によって日本本土のほとんどの範囲を爆撃できるようになるからです。 1944(昭和19)年6月、マリアナ沖で日米空母部隊の総力を挙げた航空戦が行われました。
日本海軍はこの時のために、失った空母部隊を約1年かけて再建してきましたが、暗号解読によって作戦の詳細が事前にアメリカ軍に読み取られていたこと、高性能レーダーや新型の爆破装置(VT信管=ぶいてぃーしんかん)がアメリカ軍には装備されていたこと、そして日本軍をはるかに上回る空母および航空機を用意したアメリカ軍の前になすすべもなく敗れ去ります(マリアナ沖海戦)。
この戦いにより日本軍の空母部隊は実質的に壊滅し、その後日本軍は空母部隊を再建することはできませんでした。
マリアナ沖海戦とほぼ並行して、アメリカ軍によるサイパン島への猛攻撃が開始されました。サイパン島は陸軍約2万8千人、海軍約1万5千人が守る日本軍の一大拠点でしたが、軍司令部の情勢判断の誤りにより、わずかな防御態勢しか整えていないところにアメリカ軍の大軍が押し寄せ、猛烈な艦砲射撃と空襲の後、上陸しました。
約3週間に及ぶ激闘の末、サイパン島守備隊の日本軍は「天皇陛下万歳」を叫びながら敵に突撃する「バンザイ突撃」を敢行。アメリカ軍に打撃を与えつつもほぼ全滅します。 サイパン島は日本の委任統治領(いにんとうちりょう、植民地)であったため、その当時約2万人の日本の民間人も暮らしていました。
アメリカ軍の捕虜になれば男は虐殺され女は辱めを受けると教えられていた日本人は、自らサイパン島北部の断崖から身を投じ、およそ8000人~1万2000人が集団で自殺(集団自決)します。
【詳細ページ】
東南アジアの戦線:インパール作戦
同じころ、東南アジアの戦線でも日本軍はほころびを見せ始めます。開戦以来、日本軍はビルマ(現ミャンマー)までを領土として押さえていました。ビルマの西隣のインドの、国境付近の都市インパールにはイギリス軍の拠点があり、日本軍はここを叩く作戦を立てます(インパール作戦)。
しかしビルマ・インド国境には険しい山脈がそびえ、補給もままならないまま攻撃を命じられた日本軍は、補給線が伸びきったところでイギリス軍の反撃にあい、大打撃を受けながら退却しました。
太平洋戦争の中でも特に無謀な作戦として知られるこのインパール作戦は、1944年3月から7月まで続き、約2万4千~2万5千人の日本軍将兵が犠牲になったとされます。
日本軍の通った後には将兵の死体が連なり、「白骨街道」(はっこつかいどう)と呼ばれるに至ります。この後、ビルマ方面も連合軍に押し戻されていきます。
【詳細ページ】
台湾沖航空戦
1944年10月、沖縄や台湾を空襲するアメリカ軍空母や戦艦部隊に対し、約5日間にわたり台湾から航空機による攻撃を行いました。
この航空戦で日本海軍は敵空母11隻を撃沈するなどの大成果を挙げたと発表し、それまでずっと敗戦一色だった日本は国中が狂喜しました。
しかし、戦果発表は間違いであり、実際はほとんどアメリカ艦隊に損害を与えていないことが明らかになりました。それにもかかわらず、国中が大喜びしている中で海軍はそのことを言い出せず、天皇や政府はおろか、陸軍でさえ敵空母が壊滅したことを信じたままその後の戦闘を行うことになります。
さらに、この戦いで日本軍はフィリピンでの戦闘に参加する予定だった航空機の多くを失ってしまいました。
フィリピンの戦い
台湾沖航空戦から数日後、アメリカ軍はフィリピン・レイテ島に上陸します。レイテ島では日米の激しい地上戦が繰り広げられましたが、次第に日本軍は島の北方に追い詰められます。
日本兵には、生きている限り戦い続けることを命じる「永久抗戦命令」が出され、各地で玉砕していきます。
海上では、レイテ島に上陸したアメリカ軍への物資運搬を断ち切るために、日本海軍連合艦隊の残存艦をかき集めた海戦が計画されます(捷一号(しょういちごう)作戦)。
この海戦は主に3つの日本艦隊が連携しながら別々に動き、レイテ湾のアメリカ軍の輸送船や艦艇を一気に撃破するというものです。
残された日本空母部隊がおとりとしてアメリカ軍空母部隊を北方に引き付けている間に、戦艦を中心とした艦隊がレイテ湾に突入する作戦でした。おとり空母部隊によるアメリカ軍空母部隊の引き付けには成功しましたが、レイテ湾へ突入する直前に日本艦隊は引き返してしまい、作戦の目的は果たせませんでした。
この海戦で大和(やまと)と共に日本海軍の象徴であり、世界最大の戦艦であった武蔵(むさし)が敵航空機の攻撃により沈没しています。この海戦により、日本海軍連合艦隊は事実上消滅しました(レイテ沖海戦)。
1945(昭和20)年になると、陸の戦いは首都マニラのあるルソン島へ移ります。マニラでの市街戦では約10万人とも言われる現地民間人が戦闘に巻き込まれたり、日本軍に虐殺されたりして犠牲になりました。
日本軍はここでも次第に島の北方へと追いつめられ、終戦までゲリラ戦を展開しましたが、ルソン島における日本軍の犠牲者は21万8000人と言われています。
【詳細ページ】
💡 大平洋戦争の流れ 目次
➡ ページ1 開戦前(1914-1941.11)
➡ ページ2 開戦と攻勢(1941.12-1942.4)
➡ ページ3 戦線の停滞と形勢逆転(1942.4-1943.2)
➡ ページ5 降伏への道(1945.2-1945.9)
本ページに関連する年表
1943(昭和18)年
3月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
2-3 | 軍事 | ビスマルク海海戦(ダンピールの悲劇) | ||
26 | 軍事 | アッツ島沖海戦 | - |
4月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
7-16 | 軍事 | 日本軍、ガダルカナル島、ニューギニア島方面の空襲(い号作戦) | - | - |
18 | 軍事 | ★山本五十六連合艦隊司令長官、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件) |
5月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
12-29 | 軍事 | ★アメリカ軍、アッツ島上陸。日本軍全滅、「玉砕」(ぎょくさい)が始めて使われる |
6月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
8 | 軍事 | 長門型戦艦二番艦「陸奥」(むつ)が、第三砲塔爆発により柱島泊地にて沈没 | - | - |
7月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
6 | 軍事 | クラ湾夜戦 | - | - |
12 | 軍事 | コロンバンガラ島沖海戦 | ||
29 | 軍事 | 日本軍、キスカ島から撤退(キスカ島撤退作戦) | - | - |
8月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
6 | 軍事 | ベラ湾夜戦 | ||
17 | 軍事 | 第一次ベララベラ海戦 | ||
- | 政治 | 日本軍、バー・モウを首班としてビルマ独立を宣言 | - | - |
9月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
10 | 社会 | 鳥取地震が発生。鳥取市が壊滅し、1083名が死亡 | - | - |
17 | 軍事 | 連合軍、ラエを占領 | ||
30 | 軍事 | ★御前会議(ごぜんかいぎ)で絶対国防圏構想を決定 | - | - |
- | 政治 | ★イタリア、連合国に降伏 | - | - |
10月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
6 | 軍事 | 第二次ベララベラ海戦 | - | |
21 | 軍事 | ★出陣学徒壮行式(学徒出陣始まる) | - | - |
24 | 政治 | スバス・チャンドラ・ボースがシンガポールで自由インド仮政府の成立を宣言 | - | - |
26 | 軍事 | 自由インド、英米に宣戦布告 | - | - |
11月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
1-2 | 軍事 | ブーゲンビル島沖海戦 | ||
21‐23 | 軍事 | アメリカ軍、マキン島、タラワ島上陸。23日日本軍玉砕 | ||
22-26 | 政治 | エジプト・カイロで英米中首脳会談(カイロ会談) | - | - |
24 | 軍事 | セント・ジョージ岬沖海戦 |
12月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
5 | 軍事 | マーシャル諸島沖航空戦 | - | - |
1944(昭和19)年
1月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
30‐ | 軍事 | アメリカ軍、クェゼリン島攻撃。2月6日日本軍玉砕 |
2月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
3‐23 | 軍事 | 日本軍、第二次アキャブ作戦 | ||
17 | 軍事 | ★トラック島空襲 | ||
22 | 軍事 | エニウェトク環礁(ブラウン環礁)の日本軍玉砕 |
3月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
8 | 軍事 | ★日本軍、ビルマでインパール作戦開始 | - | - |
31 | 軍事 | 古賀峯一連合艦隊司令長官が殉職(海軍乙事件) | - | - |
4月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
17 | 軍事 | ★日本軍、中国で大陸打通作戦開始 | - | - |
5 月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
25 | 軍事 | 日本軍、洛陽占領 |
6月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
15‐ | 軍事 | ★アメリカ軍、サイパン上陸。7月7日日本軍玉砕 | ||
16 | 軍事 | ★アメリカ軍、中国大陸から北九州へ初空襲 | - | |
19 | 軍事 | ★マリアナ沖海戦 |
7月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
4 | 軍事 | 日本軍、インパール作戦を中止 | ||
18 | 政治 | 東条英機内閣総辞職。22日小磯国昭内閣成立 | - | - |
8月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
2 | 軍事 | テニアン島の日本軍玉砕 | ||
11 | 軍事 | グアム島の日本軍玉砕 |
9月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
11 | 軍事 | アメリカ軍、ペリリュー島上陸 | - |
10月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
10 | 軍事 | アメリカ軍、沖縄、台湾を空襲 | ||
12-16 | 軍事 | ★台湾沖航空戦 | ||
20 | 軍事 | ★アメリカ軍、フィリピン・レイテ島に上陸 | ||
23-25 | 軍事 | ★レイテ沖海戦 |
11月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
10 | 軍事 | 日本軍、桂林、柳州占領 | ||
24 | 軍事 | ★アメリカ軍、マリアナ諸島より新型爆撃機B-29で東京を初空襲 | - |
12月
日 |
属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
7 | 社会 | 東南海地震が発生し、家屋倒壊と津波で1223名が死亡 | - | - |
10 | 軍事 | 日本軍、中国で大陸打通作戦を完了 | ||
19 | 軍事 | 日本軍、礼号(れいごう)作戦(ミンドロ島沖海戦) | - |
1945(昭和20)年
1月
日 | 属性 | できごと | 戦略 | 戦術 |
6‐ | 軍事 | ルソン島の戦い(終戦まで) | ||
13 | 社会 | 三河地震が発生し、家屋倒壊と津波で2306名が死亡 | - | - |
24、29 | 軍事 | イギリス軍、スマトラの製油施設を空襲(メリディアン作戦) |