太平洋戦争の流れ―開戦前からの歴史をダイジェストで解説

Pocket
LINEで送る

 💡 大平洋戦争の流れ 目次

 ➡ ページ1 開戦前(1914-1941.11)
 ➡ ページ2 開戦と攻勢(1941.12-1942.4)

 ➡ ページ3 戦線の停滞と形勢逆転(1942.4-1943.2)
 ➡ ページ4 追いつめられる日本(1943.3-1945.1)
 ➡ ページ5 本土決戦と降伏(1945.2-1945.9)

 

開戦前(1914-1941.11)

太平洋戦争(大東亜戦争)は1941年12月8日の日本軍による真珠湾奇襲攻撃によって始まりました。しかし、戦争の原因はそれより前に遡ります。この項では、第一次世界大戦から日中戦争に至るまでを駆け足で振り返ってみましょう。

第一次世界大戦とシベリア出兵(1914-1922)

日本は第一次世界大戦(1914年~1918年)の際、中国におけるドイツの租借地(そしゃくち)である山東省青島(チンタオ)を攻撃し、占領しました。また赤道以北のドイツ領の南洋諸島も占領します。

翌年には中国に対して、ドイツが持っていた山東省の利権を日本に譲ること、旅順・大連の租借期限や南満州鉄道の経営期限の延長を求める「対華二十一カ条」を認めさせました。

第一次世界大戦中の1917年、ロシアでレーニンの指導の下革命が起こります(ロシア革命)。社会主義の拡大を警戒した西側諸国はシベリアに出兵し、ソビエト政府をけん制。日本も1918年8月にウラジオストクに上陸、シベリア東部、満州北部、樺太北部の主要都市を占領しました。1922年に樺太北部の駐留軍を残してシベリアから引き揚げました。

 スポンサーリンク
 

 

 

大陸への野心の膨張(1923-1930)

第一次世界大戦後の不況、シベリア出兵の戦費がかさんだこと、1923年(大正12年)の関東大震災などが重なり、1920年代の日本は経済的な苦境に立たされていました。それを解決するために、中国大陸の資源、土地、権益をもとめ、中国東北部への進出を強めました。

しかし、1924年以降、蒋介石(しょうかいせき)率いる国民革命軍の活躍により、日本の対中輸出がうまくいかなくなるなど、日本にとって不都合な事態が起こります。そこで日本軍部(関東軍)は日本が支援していた軍閥(ぐんばつ)の張作霖(ちょうさくりん)の乗っている汽車を爆破して殺害し、中国側のせいにすることで中国へ進出する口実を作ろうとしました。殺害には成功したものの、この事実が軍閥側に漏れ、軍閥は敵対していた国民革命軍と協力関係を結び、日本と対立するようになります。結果として、日本は中国での影響力を弱めることになりました。

【詳細ページ】

 

満州事変と満州国建国(1931-1936)

1929年(昭和4年)、世界恐慌の波は日本にもやってきました。不況にあえぐ国内景気を回復させるためには中国における権益強化しかないという意見が軍部や国家主義者の間で台頭します。1931年9月、関東軍は奉天郊外の南満州鉄道の線路を爆破し、これを中国軍の仕業と、濡れ衣をかぶせます(柳条湖事件)。日本政府の不拡大方針を無視し、関東軍は軍事行動を開始しました(満州事変)。

1932(昭和7)年、関東軍は清朝(しんちょう)最後の皇帝溥儀(ふぎ)を執政とし、「満州国」の建国を宣言させます。満州国の実権はすべて日本が握っており、日本の傀儡(かいらい)国家でした。これらの日本の行動を中国は侵略であると非難。国際連盟は「リットン調査団」を派遣し、満州国の独立は認められないが、日本の満州における権益は認められるべき、とする報告書を発表。満州国を認めることが必須条件と考えていた日本は、これを受けて1933年3月、日本は国際連盟を脱退し、国際的な孤立を深めます。

【詳細ページ】

 

日中開戦と東南アジアへの進出(1937-1940)

満州国建国後、日本はさらに中国北部へ進出します。しかし、蒋介石の国民政府と毛沢東が率いる中国共産党が協力をし、日本への対抗(抗日)を強めます。そのような折、北京郊外にかかる盧溝橋(ろこうきょう)付近で日本軍部隊への発砲をきっかけとして、日本軍が中国軍へ攻撃を開始しました(盧溝橋事件)。1937(昭和12)年7月7日のこの出来事をきっかけに、日中は戦争の泥沼へと入っていきます。

1939(昭和14)年9月、ドイツが突如ポーランドへ侵攻。第二次世界大戦が始まります。そして翌年の1940年9月には日本はドイツ、イタリアと三国軍事同盟を締結。軍事、経済、政治の他分野にわたり相互に援助関係を結びました。

資源が少ない日本は、東南アジアの資源地帯に目を付けます。1940年9月、ドイツに攻撃され弱体化したフランスに付け込み、北部仏印(ほくぶふついん、現在のベトナム北部)へ軍を進めます。

【詳細ページ】

 

スポンサーリンク

 

アメリカの反発(1940-1941)

日本のこのような動きに対し、中国大陸における権益を狙っていたアメリカが反発します。アメリカはくず鉄の日本への輸出を禁止。またイギリスも日本を包囲する動きを見せます。さらに日本軍は南部仏印(現在のベトナム南部)へも兵を進めると、アメリカにある日本の資産を凍結します。さらに日本への石油輸出を全面禁止。イギリス、オランダもこれにならいます。

石油や鉄などの重要な資源の多くをアメリカや当時オランダ領であったインドネシアなどに依存していた日本は、輸入が閉ざされれば戦争はおろか、基本的な国家運営さえも難しくなってしまいます。日本政府は日米関係を改善するため、外交交渉を行いますが、アメリカは態度を軟化させず、最終的にアメリカ国務長官コーデル・ハルによって到底受け入れることのできない条件を突き付けられ、アメリカとの戦争を決定します。

【詳細ページ】

 

 💡 大平洋戦争の流れ 目次

 ➡ ページ2 開戦と攻勢(1941.12-1942.4)
 ➡ ページ3 戦線の停滞と形勢逆転(1942.4-1943.2)
 ➡ ページ4 追いつめられる日本(1943.3-1945.1)
 ➡ ページ5 本土決戦と降伏(1945.2-1945.9)

 

 

Pocket
LINEで送る