日本の植民地と勢力圏(2)-占領地の犠牲の上に立つ「大東亜共栄圏」(概要)

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着々と植民地を拡大していった戦前の日本は、日中戦争・太平洋戦争を遂行していくうえで、「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」という戦争遂行の大義名分を打ち出しました。

本項では、東アジアを解放するというスローガンのもと、建設されていく大東亜共栄圏とはどのようなものだったのか、概観します。

 

日中戦争期:「東亜新秩序」と植民地の日本との一体化

日中開戦一年後に設定された戦争目的:「東亜新秩序」の建設

1937(昭和12)年7月7日に起きた「盧溝橋事件」に端を発した日中の武力衝突は、全面戦争となり、泥沼の様相を見せ始めていました

1938(昭和13)年末、近衛文麿首相は戦争の目的が日本・満州・中華民国(日・満・華)の三国連帯による「東亜新秩序」建設にあることを声明しました。

1年以上前に突如始まったこの戦争の目的を、この頃になってあらためて日本側が表明したのは、ヨーロッパでの危機的状況を背景に、イギリスの対アジア政策が軟化したため、中国内部の親日勢力を引き出して対中国支配確立の好機と捉えたからです。

 

福田豊四郎作「銃後の田園」
1939年陸軍省発行の絵葉書(福田豊四郎作「銃後の田園」)。『支那事変二周年記念』の記念印には「東亜新秩序」の標語が入っている。 出典:大日本帝国陸軍省発行陸軍美術会製作 福田豊四郎作『銃後の田園』記念葉書 1939-07-07(昭和十四年七月七日)

 

朝鮮・台湾の日本との一体化

1930年代末から姓名を日本風に改める「創氏改名」(そうしかいめい)が強制され、同化政策が強められた朝鮮では、太平洋戦争開戦後日本の支配が過酷さを増しました。

労働力不足を補うために労働者が日本本土へ強制的に連行され、戦争末期には徴兵制も適用されました。数十万人の朝鮮人や占領地域の中国人を日本本土などに強制連行し、鉱山や土木工事現場などで働かせました。

水豊ダム
朝鮮では大型ダムの建設によって電力を供給した(建設中の水豊ダム)。工業生産力を高めるため、日本は植民地の近代化を強力に推し進める一面も持っていた。 出典:毎日新聞社「昭和史 別巻1-日本植民地史」

 

朝鮮においては、中国大陸進出における物資や人の補給・中継地点として「大陸兵站(へいたん)基地化」と、内地(日本本土)との完全な一体化を意味する「内鮮一体化」(ないせんいったいか)が方針として掲げられました。

台湾においては、「皇民化」「工業化」「南進基地化」という三大標語が掲げられ、日本の工業生産に資すること、そして南方への進出のための基地として発展させることが方針になりました。

内鮮一体化ポスター
日本と併合された朝鮮を運動会の二人三脚に例えたポスター

 

圧倒的に不足する物資

日中戦争開始以来、日本の必要とする軍需産業用の資材は、植民地を含む日本の領土や、満州及び中国における占領地からなる経済圏の中だけでは到底足りず、欧米とその勢力圏からの輸入に頼らなければならない状態にありました。

しかしアメリカは、アジア・北太平洋地域との自由な交易関係の維持を重要な国益と認識していたため、日本が東亜新秩序形成に乗り出すと、これを自らの東アジア政策への本格的な挑戦とみなし、日米間の貿易額も減少し始めました。

 

太平洋戦争期:「大東亜共栄圏」建設の犠牲となった占領地

「大東亜共栄圏」の誕生

ヨーロッパでドイツが圧倒的に優勢となり、イギリスだけが抵抗を続けている状態になると、日本では陸軍を中心にドイツとの結びつきを強め、対アメリカ・イギリスとの戦争を覚悟のうえで欧米の植民地である南方に進出し、「大東亜共栄圏」の建設をはかり、石油・ゴム・ボーキサイトなどの資源を求めようという主張が急速に高まりました。

そして日本は、資源不足から早期に開戦する必要に迫られ、アメリカとの交渉も決裂と判断、ついに1941(昭和16)年12月8日、マレー半島へ上陸すると同時にハワイへ奇襲攻撃を行い、太平洋戦争が始まります。

 

💡 太平洋戦争開戦の経緯はこちら ➡ 日中戦争から日米開戦へ―資源争奪の末の衝突

 

東南アジアでの親日勢力

開戦当初破竹の勢いでアジアを手中に収めた日本軍は、占領地域で日本の意のままに動く政府や勢力を作り、各地を支配しました。フィリピン、ビルマ(現在のミャンマー)では親日政権を成立させ、インドネシアでは親日組織を作らせました。インドシナ(現在のベトナム、ラオス、カンボジアのあたり)、タイには、日本との協力を声明させました。

 

徴兵制

不足する日本軍兵力を補うため、朝鮮では1943年、台湾では1944年に徴兵制が施行されました。しかし、すでに1938年に志願兵制度が導入され、植民地からも兵士を募集していました。

また戦地に設置された「慰安施設」には朝鮮、中国、フィリピンなどから女性が集められました。

 

解放者として、支配者として

東南アジアの占領地では、当初日本を欧米諸国の植民地支配からの解放者として迎えたところもありました。しかし、日本の占領目的は主として資源収奪とそれに必要な治安確保でした。軍政のもとで現地の文化や生活様式を無視し、日本語教育や天皇崇拝・神社参拝の強制など、「皇民化」政策が採られました。支配各地に神社や祠(ほこら)が設けられ、終戦時における海外神社数は約600社、より小規模の祠を含めた総数では1600に上ります。

テニアン島に残る神社の跡
テニアン島に残る神社の跡

 

大東亜会議

連合軍との戦況が悪化する一方の1943(昭和18)年11月、東条内閣は占領地域の戦争協力を確保するため、東京で「大東亜会議」を開催。これは、満州国や中国(南京)の汪兆銘政権、タイ、ビルマ、自由インド、フィリピンなどの代表者を東京に集め、大東亜共栄圏の結束を誇示するものでした。

大東亜会議
大東亜会議に参加した各国首脳。左からバー・モウ、張景恵、汪兆銘、東條英機、ワンワイタヤーコーン、ホセ・ラウレル、スバス・チャンドラ・ボース 出典:毎日新聞社「昭和史第11巻 破局への道」

 

大東亜共栄圏の範囲・大きさ

この頃の日本の勢力圏をまとめると、以下のようになります。

大東亜共栄圏期の日本帝国の構造

支配種別 概要 地域 備考
1.統治本国(宗主国)
 いわゆる日本内地   日本本土 明治憲法公布施行時における「大日本帝国」
2.公式植民地
植民地①   日本が完全な統治権を持つもの   台湾 台湾および澎湖諸島
南樺太 北緯50度以南の樺太
朝鮮  
植民地②  日本の統治権が完全でないもの  関東州 中国からの租借地
南洋群島 国際連盟の委任統治地域
3.傀儡政権支配地
支配地①   日本の支配力の比較的強いもの   満州 熱河省を含む「満州国」
蒙疆 蒙古連合自治政府の支配地
華北 華北政務委員会の支配地
支配地②   日本の勢力の比較的弱いもの   華中・華南 南京中華民国政府(汪兆銘政権)の支配地
タイ 日タイ軍事同盟による同盟国
仏領インドシナ ヴィシー政権との共同統治
4.日本軍占領地
占領地① 陸軍
主担任地域
香港
フィリピン
英領マレイ
スマトラ
ジャワ
英領ボルネオ
ビルマ
 
占領地② 海軍
主担任地域
蘭領ボルネオ
セレベス
モルッカ諸島
小スンダ列島
ニューギニア
ビスマルク諸島
グアム島
 

出典:「「大東亜共栄圏」経済史研究」一部省略

 

また、面積を割合で示すと、以下のように、中国や南方圏の傀儡政権・支配地域・勢力圏が帝国そのもの(日本本土・朝鮮半島・台湾・南部樺太・千島列島・南洋諸島)よりも圧倒的に大きいものでした。

大東亜共栄圏の地域別面積割合

 

過酷な使役・弾圧が住民の反発を招いた

シンガポールやマレー半島、フィリピンでは住民への残虐行為や捕虜を含む強制労働が多発しました。

タイとビルマを結ぶ「泰緬(たいめん)鉄道」の建設では、劣悪な労働環境のもと、過酷な労働を連日強いられた結果、数万人が命を落としました。

また、占領地の各地で土木作業や鉱山労働への強制動員が行われました。シンガポールやマレーシアでは、日本軍が多数の中国系住民(華僑)を反日活動の容疑で虐殺するという事件も発生。

このようなことが積み重なり、住民の激しい反感を呼び、日本軍は各地で抵抗運動に直面しました。

泰緬鉄道建設に携わったオーストラリア軍やオランダ軍の捕虜

 

戦後アジアは解放へ

日本の敗戦と共に、「大東亜共栄圏」建設の構想は終わりを迎えました。

そして日本が去った後、再び植民地の宗主国として戻ってきた欧米諸国に対し、アジア諸国は民族解放運動に立ち上がりました。

植民地の本国軍と戦って独立を勝ち取ったことで、結果的にアジアにおける欧米の植民地支配は一掃されました。

日本はアジアから欧米列国を追い出した側面と、自らの国家目標達成のために圧政を加えた支配者としての、二つの側面を持っていました。

 

本項は「詳説日本史B(山川出版社)」「詳説世界史B 81 世B 304 文部科学省検定済教科書 高等学校 地理歴史科用」「「大東亜共栄圏」経済史研究」を元に構成しました。

 

より深く知りたい方へ

「大東亜共栄圏」経済史研究」は、大東亜共栄圏を主に経済的な観点から分析しています。冒頭に大東亜共栄圏の全体的な解説があり、その歴史的な起こりと政治的な特徴を分析しています。その後、各種統計資料を駆使し、貿易、金融、所得の観点から分析します。大東亜共栄圏の経済的側面を掘り下げて考えたい方は必須の一冊と言えるでしょう。以下の画像やリンクをクリックでAmazonまたは楽天で購入できます。

 

 

photo: wikimedia, public domain
アイキャッチ画像:テニアン島に残る神社

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