ガダルカナル島をめぐる戦い(2)激闘-陸・海・空の死闘

Pocket
LINEで送る

1942(昭和17)年8月からの約半年、ガダルカナル島を奇襲上陸した連合軍と、島を奪回しようとする日本軍との間で陸・海・空の壮絶な戦闘が連続して起こりました。本項では、ガダルカナル島をめぐる戦いのうち、主要な戦闘を占める1942年10月までを追います。

<関連記事>
 💡 ガダルカナル島をめぐる戦い(1)経緯-日本軍前進基地の奪い合い
 💡  ガダルカナル島をめぐる戦い(3)撤退-太平洋戦線崩壊の足音
 💡  <概要>形勢逆転の太平洋戦線-MO作戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島をめぐる戦い

 

スポンサーリンク

 

日本軍と連合軍との間で起きた主な戦闘

 

【海戦1】第一次ソロモン海戦(8月8日ー9日)

ガダルカナル島が連合軍に襲撃され、飛行場が奪われたという報告を受け、日本海軍連合艦隊は即座に攻撃を行うことを決めました。8月8日、巡洋艦を中心とする「第八艦隊」が、ガダルカナル島の敵輸送船を破壊するためにラバウルより出撃。深夜、島の北西に浮かぶ「サボ島」周辺を警備していた連合軍の巡洋艦部隊と遭遇し、激しい砲戦になりました。

夜間に起きた軍艦同士の砲撃戦で、連合軍の被害は重巡洋艦4隻撃沈、重巡洋艦1隻、駆逐艦2隻が大破または中破しました。一方日本側は損傷を受けたが、撃沈された艦船は一隻もありませんでした。第八艦隊は編制したばかりでまだ複雑な艦隊航行をするための訓練をしておらず、特に夜間ということもあり、目標の前を一回攻撃して通り過ぎたらそのまま基地に戻ってくる予定でした。ガダルカナル島へ物資を輸送する輸送船団を第一の攻撃目標としていましたが、先に軍艦の部隊と遭遇し、砲撃戦を行ったため、そのまま引き返して来ました。軍艦同士の戦闘では日本軍の圧倒的勝利と言えましたが、敵の輸送船へは打撃を与えることはできませんでした。

米重巡クインシー
第一次ソロモン海戦で日本軍重巡洋艦の探照灯に照らされる米重巡クインシー

 

【陸戦1】一木支隊先遣隊飛行場奪回作戦(8月21日)

ガダルカナル島飛行場が奪われたされたことを受け、大本営海軍部は、陸軍部に飛行場奪回のための部隊を送ることを要請しました。要請を受けた陸軍では、ミッドウェー島上陸部隊として予定していた一木支隊(いちきしたい、部隊長一木清直(いちききよなお)大佐)を、ガダルカナル島へ差し向けることにしました。一木支隊は総勢約2000人の部隊で、その約半数の約900名を先遣隊として島へ派遣しました。その時陸軍の想定として、上陸した敵は約2000名、日本陸軍の強襲をもってすればすぐに落とせると考えていました。そのように敵情を楽観していたことと、高速である一方あまり重量がかさむ物資は運搬のできない駆逐艦によって上陸部隊の輸送が行われたことにより、部隊は軽装で飛行場奪回へ挑むことになりました。先遣隊が持って行った食糧は7日分、武装は小銃弾各自250発、機関銃8丁、それに小型の大砲(歩兵砲)でした。

一木支隊は8月18日午後、ガダルカナル島のタイボ岬周辺に上陸。飛行場方面を目指し海岸沿いを進みました。21日未明、一木支隊が砂地の浅い川を渡ろうとした時、突然猛烈な砲撃と射撃を受けました。部隊は反撃を試みましたが、川の上流から回り込んで来た敵に午前10時ごろ挟み撃ちにされました。敵は水陸両用車も送り込み、15時には戦闘は終了しました。一木支隊長をはじめとして、一木支隊先遣隊はほぼ全滅する結果となりました。

後続の一木支隊の残りの部隊は、敵の空母艦載機の攻撃に阻まれて、即座には上陸することができませんでした。

海岸沿いで全滅した一木支隊先遣隊
海岸沿いで全滅した一木支隊先遣隊

 

【海戦2】第二次ソロモン海戦(8月24日ー25日)

一木支隊の残存部隊の上陸を支援しつつ、敵空母部隊が出てくればそれを撃破する目的で、日本海軍は大型空母2隻(瑞鶴翔鶴)と小型空母1隻(龍驤)を中心とする艦隊を、ガダルカナル島方面へ派遣。空母龍驤の艦載機によって、ガダルカナル島を空襲しました。しかし、現場海域にはアメリカ軍正規空母「サラトガ」「エンタープライズ」がおり、龍驤は反撃により撃沈されました。

アメリカ軍空母を発見した日本側は、直ちに瑞鶴、翔鶴の艦載機によって二隻を攻撃。爆弾数発を命中させましたが、沈没にはいたりませんでした。この戦いで日本軍は敵空母に損傷を与えましたが、一方で龍驤と62機の空母艦載機を失い、損失は小さくはありませんでした。

米空母エンタープライズ
第二次ソロモン海戦で攻撃を受ける米空母エンタープライズ

 

【参考】ミッドウェー海戦直後のアメリカ・日本の空母の状況(1942年6月)

アメリカ太平洋艦隊の空母

艦名 搭載
艦載機
存在 状況
居場所
レキシントン  90 × 珊瑚海で
撃沈
サラトガ  90 アメリカ本土で修理中
ヨークタウン 81 × ミッドウェーで撃沈
エンタープライズ  81 中部太平洋
ホーネット  81 中部太平洋

※搭載機数は資料によって幅がある。本項では、「アメリカの航空母艦: 日本空母とアメリカ空母:その技術的差異」のデータのうち、最低機数を掲載している。実戦では必ずしもこの機数を使用していない。

 

日本海軍の空母

艦名
よみ
搭載
艦載機数
存在 状況
赤城
あかぎ
91 × ミッドウェーで撃沈
加賀
かが
90 × ミッドウェーで撃沈
蒼龍
そうりゅう
73 × ミッドウェーで撃沈
飛龍
ひりゅう
73 × ミッドウェーで撃沈
鳳翔
ほうしょう
22 ミッドウェー参加
(戦闘参加せず)
瑞鳳
ずいほう
30 ミッドウェー参加
(戦闘参加せず)
翔鶴
しょうかく
84 珊瑚海で損傷
本土で修理中
瑞鶴
ずいかく
84 珊瑚海で損傷
本土で修理中
祥鳳
しょうほう 
30 × 珊瑚海で撃沈
龍驤
りゅうじょう
48 アリューシャン
参加
隼鷹
じゅんよう
53 アリューシャン
参加

※…出典:別冊歴史REAL大日本帝国海軍連合艦隊全史 (洋泉社MOOK 別冊歴史REAL)。数字は搭載可能な機数であり、実戦では必ずしもこの機数を使用していない。

 

スポンサーリンク

 

【陸戦2】川口支隊飛行場奪回作戦(9月12日)

一木支隊先遣隊の全滅を受け、日本陸軍は川口清健(かわぐちきよたけ)少将の川口支隊(約5400名)をガダルカナル島へ派遣することにしました。川口支隊は苦労して8月29日にガダルカナル島に上陸。ジャングルの中を移動しながら、海軍との連携などの関係から、9月12日夜に夜襲を行うこととしました。

通常、敵が強力な火力を備え、防御がしっかりしている場合、十分な偵察を行ったうえで、大砲などで十分敵陣地を破壊したのち、歩兵による攻撃を行うのが常道です。しかし、以下のような条件が重なり、しっかりとした攻撃準備は望むべくもありませんでした。

  • 島への到着を最優先し、速度は遅いが大量に物資を運ぶことのできる輸送船ではなく、重量物を運ぶことができないが高速の駆逐艦を主な輸送手段としたため、重量のかさむ重火器(大砲や機関銃等)を十分に運ぶことができなかった
  • 島に持ち込んだ重火器は分解してジャングルの中を運ばれたが、到着地点までの時間に間に合わなくなるので、多くが途中で放棄された
  • 海岸沿いに進み全滅した一木支隊の教訓を生かし、川口支隊は途中からジャングルに分け入り、飛行場を後ろから襲撃する作戦を立てた。この地域のジャングルは昼でも暗く、夜になるとほとんど前が何も見えない状態になる。日本軍がそれまで闘ってきたマレー半島やフィリピンと比べてもいっそう険しかった。
  • 島のまともな地図がなく、初めての土地でジャングルの中を進むのは大変困難だった。川口支隊が持たされた地図は、艦船用の海図であり、土地の詳しい情報は書き込まれていなかった。
  • 敵陣地に近づくことすら難しい中で、敵の様子はほとんど分からなかった

このような中で、川口支隊はいくつかの隊に分かれ、それぞれ期限までに決められた攻撃地点に進むことが求められました。しかし、険しいジャングルの中を、武器・弾薬を運びながら進んだため、攻撃開始時間に間に合わない隊も出ました。予定の12日夜は攻撃地点に間に合った一部の部隊だけ攻撃を実施。翌13日、川口支隊長は味方の部隊がどの地点にいるのかもよく把握できなかったものの、攻撃を遅らせることはできなかったので、再度攻撃を指示。午後8時を期して総攻撃を行ったが、上陸から一か月経ち強力な陣地を築いていた連合軍の反撃に対抗できず、多くの死傷者を出し敗退しました。敵は基地の周囲に鉄条網を張り巡らし、各所に機関銃や大砲を配備。日本軍はどこから敵が撃ってくるかもよくわからない状況でした。この戦いで日本側は戦死者約600名、負傷者約500名を出しました。

 

【陸戦3】第二師団夜襲(10月24日‐25日)

二度の突撃が失敗した陸軍は、今度はさらに大きな戦力で10月中のガダルカナル島飛行場奪回を計画しました。第二師団の師団長丸山政男中将は一足先に10月3日、ガダルカナル島へ上陸。戦闘指令所を設営しました。そこへ、先に上陸し、敗退していた部隊から「現在までガダルカナル島へ上陸したわが方の全兵力は、約9000名、そのうち戦病者2000、健在の者約5000であるが、攻撃力としては期待できない」という連絡が入りました。生き残った兵も、マラリアなどの病気と、飢えによって戦うだけの体力が残されていなかったのです。

第二師団約1万人は、総攻撃を24日~25日にかけ敢行しました。しかしその前から一部の部隊は敵と遭遇し、完全に撃破されていました。地上の敵軍の攻撃だけではなく、間近にある飛行場から飛び立った航空機によって日本軍部隊は爆撃と機銃掃射を浴び、再び作戦を断念せざるを得ませんでした。アメリカ側の記録では、2000~3000名の兵がこの攻撃で死亡したとされます。

ガダルカナル島における日本軍第二師団
戦闘に敗れた第二師団

 

【海戦3】南太平洋海戦(10月26日)

第二師団の攻撃が失敗に終わった直後、日本・アメリカの機動部隊は再びソロモン諸島の海で激突しました。それぞれの主な戦力は以下の通りです。

  • 日本側:大型空母2隻(翔鶴、瑞鶴)、小型空母2隻(瑞鳳、隼鷹)、戦艦4隻、重巡洋艦8隻
  • アメリカ側:正規空母2隻(エンタープライズ、ホーネット)、戦艦1隻、重巡洋艦3隻

この戦いで、日本軍は「ホーネット」を撃沈。エンタープライズに損傷を与えました。日本側空母も少なくない被害を受けましたが、沈没は免れました。与えた被害の大きさとしては、日本が勝ったと言えます。しかし、この戦いで100機弱の航空機と歴戦のパイロットを失い、それ以降機動部隊がガダルカナル島へ向かう日本の輸送船を護衛することができなくなってしまいました。また、これは日本海軍機動部隊の最後の勝利となりました。

南太平洋海戦で日本海軍九九式艦上爆撃機の急降下爆撃を受ける空母ホーネット
南太平洋海戦で日本海軍九九式艦上爆撃機の急降下爆撃を受ける空母ホーネット
駆逐艦に乗員を退艦させる空母ホーネット
駆逐艦に乗員を退艦させる空母ホーネット

 

次は ➡ ガダルカナル島をめぐる戦い(3)撤退-太平洋戦線崩壊の足音

<関連記事>
 💡 ガダルカナル島をめぐる戦い(1)経緯-日本軍前進基地の奪い合い
 💡  <概要>形勢逆転の太平洋戦線-MO作戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島をめぐる戦い

 

関連年表


※戦略=戦略的勝利、戦術=戦術的勝利。それぞれの言葉の意味についてはこちらをご覧ください。 💡 戦略的勝利と戦術的勝利

1942(昭和17)年

8月

できごと 戦略 戦術
7 ★アメリカ軍、ソロモン諸島のガダルカナル島、ツラギ島、ガブツ島、タナンボゴ島に上陸 US_flag_51_stars.svg US_flag_51_stars.svg
 8 第一次ソロモン海戦 War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg
21 日本軍 一木支隊先遣隊(いちきしたい せんけんたい)、ガダルカナル島飛行場奪回作戦 US_flag_51_stars.svg US_flag_51_stars.svg
24 第二次ソロモン海戦 US_flag_51_stars.svg

9月

できごと 戦略 戦術
12 日本軍川口支隊、ガダルカナル島飛行場奪回作戦 US_flag_51_stars.svg US_flag_51_stars.svg
15 日本軍伊19潜水艦、アメリカ空母ワスプを撃沈 War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg

10月

できごと 戦略 戦術
11 サボ島沖海戦 US_flag_51_stars.svg
 13 ガダルカナル島ヘンダーソン基地艦砲射撃 War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg
14 日本軍、ガダルカナル島輸送作戦 US_flag_51_stars.svg US_flag_51_stars.svg
24-25 日本軍第二師団、ガダルカナル島アメリカ軍基地夜襲 US_flag_51_stars.svg US_flag_51_stars.svg
26 南太平洋海戦 War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg

 


本項は

を元に構成しました。



photo:Wikipedia, public domain
アイキャッチ画像:全滅した一木支隊先遣隊

 


 

Pocket
LINEで送る