日本海軍がつぎ込める戦力の大部分をつぎ込み、一大作戦として決行したミッドウェー作戦。しかし結果は兵力に劣るアメリカに決定的な敗北を喫しました。太平洋戦争の潮目が変わった海戦として重要な意味を持つ「ミッドウェー海戦」を、3回に分けて振り返ります。一回目の今回は、日本軍はミッドウェー作戦で何を果たしたかったのか、その目的を考えます。
💡 (参考)ミッドウェー海戦前後の経緯とは? ➡ <概要>形勢逆転の太平洋戦線-MO作戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島をめぐる戦い
目次
ミッドウェー作戦の目的
前節<概要>形勢逆転の太平洋戦線-MO作戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島をめぐる戦いでも紹介したように、南方作戦が一段落した後、連合艦隊の山本五十六司令長官は、敵空母の日本本土空襲を予防するためには、ハワイと日本との間にあるミッドウェーを押さえることが欠かせないと考えていました。
さらに、ハワイを攻略・占領し、今度こそアメリカの戦意をくじくことが欠かせないという意見を持っていました。
そして、ハワイ攻略の前段階として、ハワイから西に約2,000㎞の地点にある「ミッドウェー島」のアメリカ軍基地を攻撃し、この島を占領する作戦を立てました。
また、ミッドウェー島攻略の過程でアメリカ軍機動部隊が出現した場合、直ちにそれを叩き、太平洋からアメリカ軍の空母部隊を一掃することも同時に狙っていました。
ミッドウェー島とは
ミッドウェー島は中部太平洋に浮かぶ、サンゴ礁の小島の集まりです。主に「サンド島」と「イースタン島」という二つの島からなり、面積の合計は約6㎢。長方形に直すと、縦3㎞、横2㎞の小さな島です。
基本的にサンゴ礁が作った島なので、全体に平坦な地形で、アメリカ軍はここに飛行場と、軍用の施設を築いていました。
以下の地図からも分かるように、太平洋の中央部に位置し、Midwayという名前もこれに由来します(アメリカ大陸からユーラシア大陸へ向かう「途中」にあるの意)。日本からはハワイへ行く途中のポイントとして、またアメリカ軍にとってはハワイ防衛の前線基地として、重要な意味を持ちました。
ミッドウェー島とハワイ・真珠湾・柱島の位置関係
オレンジ=ミッドウェー島
青=ハワイ真珠湾=アメリカ海軍太平洋艦隊基地
緑=山口県柱島(はしらじま)=当時の日本海軍連合艦隊の本拠地
一方で、このミッドウェー攻略案は、海軍の作戦立案の総元締めである「軍令部」や、連合艦隊の一部幕僚からも反対を受けました。その主な理由は以下のとおりです。
- そもそも前提となるハワイ攻略自体が、日本の兵力から言って極めて難しい。そのため、その前哨戦としてのミッドウェー作戦に意味がない。
- うまくミッドウェー島を占領できたとしても、ハワイからの爆撃機の攻撃にさらされる。ミッドウェー島は狭く、平坦で、隠れる場所もない。また、日本本土からミッドウェー島ははるか遠くであり、上陸後に補給し続けるのは困難。よって守る日本よりも攻めるアメリカの方が有利であり、占領後に維持するのは困難。
- 仮に日本にハワイ攻略に十分な兵力があったとしても、ミッドウェー島は狭く、それらを上陸させることはできない。よって、ハワイ攻略のための前進基地の用をなさない。
軍令部は、ミッドウェー島攻略よりも、ハワイとオーストラリアの間の補給路の間にある、「フィジー」「サモア」といった地点を攻略し、アメリカとオーストラリアの連携を断ち切ることを主張していました(フィジー、サモアそれぞれの頭文字をとって、「F・S作戦」と呼んでいました)。
ハワイ・オーストラリア連絡船の間にあるフィジー・サモア
オレンジ=フィジー、紫=サモア
青=ハワイ(アメリカ)、緑=シドニー(オーストラリア)
山本長官は、この意見に対し、フィジー・サモアはアメリカ本土から遠く離れており、ここを日本軍が攻撃したところで、アメリカ艦隊が出てくる可能性は低い、と反論しました。
山本長官としては、間接的に連合国軍の力を弱める作戦よりも、直接アメリカに打撃を与え、早く講和に持ち込む方が得策と考えていたのです。また、アメリカ軍空母部隊が日本本土に接近し、本土へ空襲を加える可能性が高いと考えていました。
このことは、1942年4月18日の「ドーリットル空襲」によって証明されました。
💡 ドーリットル空襲についてはこちらを参照 ➡ 【概要】本土空襲
最終的に、ミッドウェー作戦が受け入れられなければ山本長官は辞職するという、半ば脅し文句によって、連合艦隊は軍令部にミッドウェー作戦を受け入れさせました。
一方で、ミッドウェー作戦と引き換えに、軍令部は北方のアリューシャン列島の攻撃(ミッドウェー攻略と同じタイミング)と、F・S作戦(ミッドウェー作戦後)の実施を連合艦隊に要求しました。
アリューシャン作戦
アリューシャン列島の攻撃とは、アメリカとソ連の連携の防止、アメリカ軍空母部隊による日本本土空襲の阻止、の二点を目的とした作戦です。
アリューシャン列島で最も大きい「ダッチハーバー」のアメリカ軍基地を空母艦載機で空襲しつつ、アダック島、キスカ島、アッツ島の三つの島のアメリカ軍基地を叩き、キスカ島とアッツ島には日本軍守備隊を置き、占領するという作戦です。
アリューシャン作戦 要所図
オレンジ=ダッチハーバー、緑=アダック島、紫=キスカ島、青=アッツ島
この作戦は軍令部の要求通り、ミッドウェー作戦とほぼ同じタイミングで実施することになりました。
連合艦隊としてもアリューシャン列島に影響力を保持することは重要であると考えていたのと、北方にアメリカ軍の目を向かせることで、多少なりともミッドウェー攻略の意図をかく乱できるのではないかと考えていました。
本項は、ミッドウェー海戦―主力空母四隻喪失。戦勢の転換点となった大海空戦の全貌を解明する (歴史群像太平洋戦史シリーズ)を元に構成しました。
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photo:Wikimedia, public domain
アイキャッチ画像:山本五十六長官と連合艦隊参謀