どのようにアメリカと戦うのか?旧来の常識を破ったハワイ奇襲攻撃の誕生

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日本海軍の対アメリカ戦構想

アメリカと戦争になった場合、日本はどのように戦うのか。日本海軍は1904年~1905年の日露戦争以降、太平洋を隔てたアメリカを仮想敵国としていました。日本海軍の持っていた対アメリカ作戦の概要は、太平洋を渡って来るアメリカの艦隊に対し、潜水艦等で相手の戦力を減らし、日本近海に来たところで艦隊主力による決戦によってアメリカ海軍を打倒するというものでした。これは、少しずつ相手の戦力を減らし(漸減、ぜんげん)、迎え撃つ(邀撃、ようげき)作戦ということで、「漸減邀撃(ぜんげんようげき)作戦」と呼ばれました。このようにすることで、日本よりも強大な海軍力を誇るアメリカの力を弱めつつ対抗しようとしていました。その主眼にあるのは、戦艦を中心とする軍艦同士の海戦です。
※ 仮想敵国…ある国が国防や軍備の計画を立てる際に、仮に敵国として想定する国のこと。

 

重巡洋艦「摩耶」
世界中の海軍が、大きな軍艦になるべく大きな大砲を積むことで、敵の優位に立とうとしていた(写真は日本の重巡洋艦「摩耶」)

 

 

伝統の作戦を否定した山本五十六連合艦隊司令長官

しかし、そのような日本海軍伝統の作戦計画に対して反対を唱えたのが、開戦前に連合艦隊司令長官に就任した山本五十六(いそろく)です。連合艦隊司令長官は、作戦計画については軍令部(大本営海軍部)総長の指示を受けますが、天皇直属であり、非常に高い立場の存在でした。アメリカとの戦争に大反対していた山本長官は、アメリカと戦わなければならなくなった場合、先制攻撃によって敵の海軍力の中枢に大打撃を与え、それ以上日本と戦う気を失わせることだけが、唯一の取る道だと主張しました。
※連合艦隊…複数の艦隊から構成される艦隊で、日本海軍の主力部隊。主要艦艇のほとんどを指揮下に入れた。

山本長官がこのような主張をした背景には、日米の国力差があります。アメリカは日本よりも圧倒的に経済規模も、工業力も大きく、長期戦になればなるほど日本に不利になると予想されました。アメリカ・ハーバード大学への留学やアメリカ大使館勤務を経験していた山本長官は、その際にアメリカの工業力が日本とかけ離れていることを認識していました。1940(昭和15)年9月、当時の近衛首相に対アメリカ戦の自信を問われると、「是非やれと言われればはじめの半年や一年は存分に暴れてご覧に入れましょう。ただし二年三年ともなれば確信はありません」と述べています。

 

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では、どのように先制奇襲攻撃を行うのか。山本長官は、航空本部技術部長や空母赤城艦長を務めるなど、航空畑を歴任しており、自身がそれまで育ててきた航空部隊(空母部隊)による攻撃に自信を深めていました。空母に攻撃機や爆撃機、戦闘機を搭載し、遠く敵本拠地まで隠密行動で近づいて攻撃すれば、短時間に敵に大打撃を与えられると考えました。そうして考案されたのが、ハワイ・真珠湾に停泊するアメリカ太平洋艦隊への奇襲攻撃です。

は真珠湾攻撃での日本空母「加賀」と「瑞鶴」
空母は艦上戦闘機、爆撃機、攻撃機などを30機~90機ほど搭載し、攻撃地点まで移動する。戦艦のような巨砲は積んでおらず、戦闘機に守られていないと防御力が極端に弱い。写真は真珠湾攻撃での日本空母「加賀」と「瑞鶴」(ずいかく)。

 

しかし、真珠湾を攻撃するには、戦略レベルから戦術、そして技術面にいたるまで多くの困難があり、連合艦隊内でも、また連合艦隊の上部にあたる軍令部でも多くの反対意見がありました。当時指摘された主な点は以下のものがあります。

  • そもそもこのような計画は日本海軍の念頭になく、兵の訓練から装備にいたるまで、準備ができていない。
  • 仮にハワイまで隠密行動で近づくことが成功しても、敵艦隊が湾内にいなければ空振りとなってしまう。下記の発見される危険性と合わせ、失敗するリスクが高い。
  • ハワイまでの長い道のりを、補給も含めた大艦隊が移動することになる。途中で敵に発見される可能性が高く、奇襲が失敗する可能性が高い。
  • 開戦と共に実施する予定の南方地域の攻撃に、空母3隻が必要と考えられており、ハワイに空母その他を向ける余裕がない。
  • 真珠湾は水深が浅く、航空機から魚雷を投下すると海底に突き刺さってしまう。当時一般的には航空機からは50m~100mの高度から魚雷を投下し、魚雷は50m~60mほどいったん潜ってから浮き上がるが、真珠湾は水深が12m程度とされ、当時の常識では航空機からの魚雷投下は無理である。
  • 航空機から爆弾や魚雷を落とす際の命中率を上げないと、攻撃が中途半端に終わってしまう。

 

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ハワイ奇襲作戦の決定と弱点の克服

上記の不安要素に裏打ちされた根強い反対意見がありましたが、山本長官は南方作戦が実施されている時に、アメリカ艦隊に東京を攻撃されたら、南方の資源を確保する意味すら失ってしまうと考え、決してハワイ攻撃を取り下げませんでした。ついには山本長官はじめ、連合艦隊の全幕僚も職を辞すると軍令部に迫り、ついにハワイ奇襲攻撃を軍令部の作戦として認めさせました。

上記の問題を克服するため、様々な準備がなされました。真珠湾にはいつどのようなアメリカ艦艇がいるのかなど、アメリカ軍の動向をつかむため、ハワイ総領事館ではスパイ活動を行い、その結果真珠湾に停泊する艦船の種類と数、日曜日が一番停泊する船が多いことなどをつかみました。また、航空魚雷(航空機に積んで投下する魚雷)は改良が施され、あまり深く沈まないようになったことに加え、通常より低い高度から投下する猛訓練が行われました。連合艦隊司令部では繰り返し奇襲攻撃のシミュレーション(図上演習)が行われ、作戦を確実に成功させる方法が練られました。

これらの努力を積み重ね、いよいよ連合艦隊機動部隊はハワイへの出撃の時を待つことになります。

空母「翔鶴」(しょうかく)から真珠湾へ飛び立とうとする日本軍機
空母「翔鶴」(しょうかく)から真珠湾へ飛び立とうとする日本軍機。

 

本項は



アイキャッチ画像:連合艦隊司令長官山本五十六
photo:Wikipedia, public domain

 

 


 

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