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戦争の進め方に関する日本軍部の基本方針は、インドネシア(当時の蘭印(らんいん)、オランダ領東インド)の石油を中心とする、東南アジアの資源確保を行い、自給体制を築いた上でアメリカやイギリスと対峙(たいじ)するというものでした。
そのためには、南方資源地帯からの輸送ルートにあたる地域と、その周辺地域の敵(アメリカ、イギリス、オランダ等)を排除しておく必要がありました。
また、今後のオーストラリア方面への作戦展開を考える上で重要になる、西部・中部・南部太平洋の島々も早いうちに確保しておく必要がありました。
1941(昭和16)年11月16日、連合艦隊の機動部隊※は、大分県の佐伯(さいき)湾に集結。
17日に山本連合艦隊司令長官の訓示を受けた後、敵に目的を悟られないよう、時間をずらし各艦出発し、真珠湾攻撃の出発地である択捉(えとろふ)島・単冠(ひとかっぷ)湾へ向かいました。
11月22日に単冠湾へ集結した機動部隊は、26日朝、ハワイへ向け出発しました。
※機動部隊…空母と艦載機を中心とする部隊で、敵基地や艦船近くまで忍び寄り、艦載機によって空からの攻撃を行う。真珠湾攻撃の場合は連合艦隊のうち、第一航空艦隊を中心とする部隊。