南方資源地帯確保のための布石
戦争の進め方に関する日本軍部の基本方針は、インドネシア(当時の蘭印(らんいん)、オランダ領東インド)の石油を中心とする、東南アジアの資源確保を行い、自給体制を築いた上でアメリカやイギリスと対峙(たいじ)するというものでした。
そのためには、南方資源地帯からの輸送ルートにあたる地域と、その周辺地域の敵(アメリカ、イギリス、オランダ等)を排除しておく必要がありました。
また、今後のオーストラリア方面への作戦展開を考える上で重要になる、西部・中部・南部太平洋の島々も早いうちに確保しておく必要がありました。
そのため、ハワイ・真珠湾攻撃と時を同じくする1941(昭和16)年12月8日、日本軍はマレー半島、フィリピン、香港など、東アジア・東南アジアの複数地点、そしてウェーク島等の太平洋の島々に一斉に攻撃を展開。日本軍は破竹の勢いでイギリス軍やアメリカ軍を打ち破りました。
12月10日、イギリス東洋艦隊の主力艦である「戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」「巡洋戦艦レパルス」を基地航空隊の航空攻撃によって撃沈(マレー沖海戦)。
1942(昭和17)年2月15日にはイギリス東洋艦隊の拠点であったシンガポールを陥落させました。
フィリピンでは、首都マニラを1月2日に占領しましたが、後退したアメリカ軍との戦いが長引き、5月6日にようやくフィリピンのアメリカ軍は降伏しました。
以下の地図は、この開戦初頭の南方作戦の部隊になった主な地点を示したものです。台湾より南、赤道直下の地域までの広範囲にわたる大作戦を日本軍は展開したことが分かります。
青=台湾南部(高雄・台南)/フィリピン北部のアメリカ軍航空基地を爆撃する日本軍機が離陸
濃紺=フィリピン首都・マニラ/1942年1月2日日本軍占領
緑=香港(当時イギリス領)/1941年12月25日陥落
ピンク=中国 海南島 三亜(さんあ)/マレー半島上陸部隊(輸送船等)の出撃地点
オレンジ=南部仏印(南部フランス領インドシナ、現在のベトナム。当時日本が占領していた)サイゴン(現在のホーチミン)/マレー沖海戦の航空機部隊出撃地点
赤=英領マレー(現在のマレーシア)コタバル/日本軍上陸地点、大平洋戦争の最初の戦闘が行われた地点
黄=シンガポール(当時イギリス領、イギリス東洋艦隊拠点)/2月15日陥落
紫=ウェーク島(アメリカ軍が展開)/12月23日占領
◆各作戦は以下のページで紹介しています。
◆また、南方資源地帯確保の続編と、インド洋・ビルマ方面への進出はこちらです。
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本項はオールカラーでわかりやすい!太平洋戦争、大捷マレー沖海戦 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 2)を元に構成しました。
トップ画像:シンガポール占領後市内を行進する日本軍
photo:Wikimedia, public domain