イギリス東洋艦隊出撃
シンガポールのイギリス東洋艦隊は、日本軍のマレー半島上陸に対し、軍艦による奇襲攻撃で日本の輸送船を沈めようと考えました。
12月8日、イギリス東洋艦隊の主力である「戦艦プリンス・オブ・ウェールズ」「巡洋戦艦レパルス」と4隻の駆逐艦はシンガポールを出撃し、北上しました。
しかしこの行動は日本軍の潜水艦や偵察機に発見されました。奇襲はできなくなったため、イギリス艦隊は港に引き返そうとしました。
12月10日、日本軍が進駐していた南部仏印(南部フランス領インドシナ)のサイゴン(今のホーチミン市)周辺の航空基地より、合計85機の日本軍機が出撃。
海軍が開発したこの「九六式陸上攻撃機」(九六陸攻)と「一式陸上攻撃機」(一式陸攻)は、大型爆弾や魚雷を搭載し、長距離を飛ぶことのできる攻撃機でした。
このときの攻撃に参加したのは、九六式陸攻59機、一式陸攻26機。武装は、500キロ爆弾1発を搭載したものが28機、250キロ爆弾2発装備が8機。他の陸攻51機は魚雷(ぎょらい)を装備していました。
💡 爆弾と魚雷による攻撃の仕方についてはこちら ➡ 【概要】日本海軍の部隊構成と階級―「連合艦隊」とは#艦上機
この時イギリス軍はマレー半島の航空基地が日本軍の攻撃にさらされており、この艦隊に対して航空機による援護を出せませんでした。
二隻の戦艦と四隻の駆逐艦は対空砲で激しく抵抗したものの、「レパルス」は魚雷5本、「プリンス・オブ・ウェールズ」は爆弾2発、魚雷6本(いずれもイギリス側資料による)を受け、沈没しました。
世界に衝撃を与えたマレー沖海戦
航空機による攻撃で当時の新鋭戦艦が撃沈させられたこと、さらに航空基地から830㎞も離れた海上での戦闘であったことは、真珠湾攻撃と並んで世界中に大きな衝撃を与えました。
真珠湾ではアメリカ艦隊は停泊中でしたが、マレー沖ではイギリス艦隊は作戦行動中であり、戦艦の性能が海戦の勝敗を決めるという当時の認識を大きく揺るがすものでした。
また、これらの戦艦はイギリス海軍の誇りであり、イギリス人の軍事力に関する自信につながっていました。
首相のチャーチルは「戦争の全期間を通じて、これ以上のショックを受けたことはなかった」と回顧録に書いているほど、大きな「事件」であったと言えます。
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本項は「大捷マレー沖海戦 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 2)」「武器・兵器でわかる太平洋戦争 (NICHIBUN BUNKO)」を元に構成しました。
トップ画像:一式陸上攻撃機
photo:Wikipedia, public domain