ミッドウェー海戦(2)アメリカの執念―解読されていた暗号

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珊瑚海海戦の後、戦力的に劣勢に立たされるアメリカは、死力を尽くして準備を行いました。その結果が、日本の連合艦隊への大打撃につながります。ミッドウェー海戦を探る第二回目は、来るべき決戦に向けた、アメリカ海軍の必死の準備の様子を探ります。

アメリカ海軍の暗号解読への執念

ハワイ・真珠湾のアメリカ政府施設の地下には、ジョセフ・ロシュフォート中佐に率いられたアメリカ海軍の「戦略情報室」があり、日夜日本軍の暗号解読に取り組んでいました。アメリカ軍は専門の暗号解読チームを組み、高度な暗号解読に成功していました。

アメリカ太平洋艦隊情報主任参謀 エドウィン・トーマス・レイトン
ロシュフォート中佐の上司である、アメリカ太平洋艦隊情報主任参謀エドウィン・トーマス・レイトン

 

日本側は、政府、陸軍、海軍がそれぞれ別の暗号を使用していましたが、政府の使用する外交暗号は、太平洋戦争開戦以前より解読されており、日本本国からワシントンの駐米日本大使に送られる内容はほぼ全てアメリカ側に読まれていました

軍部の暗号は政府の暗号よりも複雑であったため、開戦直後の時期にアメリカ側も全てを解読できていたわけではありませんでした。しかし、海戦から2か月後の1942(昭和17)年2月には、「戦略情報室」メンバーは日本海軍の電信員(部隊間の各種連絡を受発信する担当の兵)を個別に判別できるまでになっていました。

一方の日本側も暗号解読には取り組んでいましたが、具体的な内容を理解するには至っていませんでした。

※このあたりの経緯は「日米開戦 (太平洋戦争への道―開戦外交史)」に詳しい。本サイトにおける関連記事は「日中戦争から日米開戦へ―資源争奪の末の衝突」を参照。

「AF」を探れ

アメリカ側は日本海軍の通信内容から、大規模な作戦が計画されていることをつかみました。

例えば、日本軍がアリューシャン列島の地図に興味を持っていること(4月27日)、戦艦大和が予定の作戦に必要な大量の給油用ホースを至急送れと通信したこと(5月5日)。

そして5月11日、日本が「AF」と呼んでいる地域に侵攻しようとしていることが分かりました。

ロシュフォート中佐はAFはミッドウェーしかないと推測し、太平洋艦隊司令長官のニミッツもその考えを指示しました。しかし、ニミッツの上司に当たる合衆国艦隊司令長官のキングは、日本軍はミッドウェーよりも遥か南のフィジー方面に攻めてくるとし、その判断を否定します。

そこで、「AF」が具体的にどこを示しているのか、アメリカ軍は一計を案じます。「ミッドウェー基地の飲料水が不足しているので、至急水を送れ」という内容の通信を、暗号をかけずにミッドウェーからハワイへ送らせました。

すると、日本側が「AFは水が不足している」と全軍に通報したことが分かったのです。これで「AF」がミッドウェーを指していることがはっきりしました。このことから、アメリカ太平洋艦隊は南太平洋にあった空母機動部隊を、中部太平洋のハワイ・ミッドウェー方面へ至急移動させることに決めたのです。

 

空母「ヨークタウン」を3日で修理せよ

5月8日、珊瑚海海戦でアメリカ海軍は空母「レキシントン」が日本軍の攻撃を受け沈没。同じく空母「ヨークタウン」には爆弾1発が命中し、損傷しました。

通常、修理に1ヶ月かかると考えられたこのヨークタウンを、ニミッツ太平洋艦隊司令長官は3日で修理するように命令を下しました。命じられたハワイの整備工場では、3日間のうちにとりあえず稼働可能なところまで復旧させ、残りは整備員が艦に乗り込んで、移動しながら修理するという方法を取りました。

その結果、ヨークタウンは戦列に復帰。日本軍は当然ながらこのことを知らなかったため、ミッドウェー攻撃の際にヨークタウンが出てくることはないだろうと考えました。

 

ハワイ真珠湾で修理中の空母「ヨークタウン」
ハワイ真珠湾で修理中の空母「ヨークタウン」

 

珊瑚海海戦(5月8日)からミッドウェー海戦(6月4日)の間のアメリカと日本の空母の状況は以下のとおりです。

アメリカ太平洋艦隊の空母

艦名 搭載
艦載機
居場所 日本側判断
レキシントン  90 珊瑚海にて沈没 珊瑚海にて撃沈
サラトガ  90 アメリカ本土で修理中 存在確実
ヨークタウン 81 南太平洋 珊瑚海にて撃破、修理中
エンタープライズ  81 中部太平洋 存在確実
ホーネット  81 中部太平洋 存在確実

※搭載機数は資料によって幅がある。本項では、「アメリカの航空母艦: 日本空母とアメリカ空母:その技術的差異」のデータのうち、最低機数を掲載している。実戦では必ずしもこの機数を使用していない。

日本海軍の空母(ミッドウェー・アリューシャン作戦参加状況)

艦名
よみ
完成時期 搭載
艦載機数
状況
赤城
あかぎ
1927年
(昭和2)
91 ミッドウェー参加
加賀
かが
1928年
(昭和3)
90 ミッドウェー参加
蒼龍
そうりゅう
1937年
(昭和12)
73 ミッドウェー参加
飛龍
ひりゅう
1939年
(昭和14)
73 ミッドウェー参加
鳳翔
ほうしょう
1922年
(大正11)
22 ミッドウェー参加
(戦闘参加せず)
瑞鳳
ずいほう
1940年※2
(昭和15)
30 ミッドウェー参加
(戦闘参加せず)
翔鶴
しょうかく
1941年
(昭和16)
84 珊瑚海で損傷
修理中
瑞鶴
ずいかく
1941年
(昭和16)
84 珊瑚海で損傷
修理中
祥鳳
しょうほう 
1941年※2
(昭和16)
30 珊瑚海で撃沈
龍驤
りゅうじょう
1933年
(昭和8)
48 アリューシャン
参加
隼鷹
じゅんよう
1942年※2
(昭和17)
53 アリューシャン
参加

※…出典:別冊歴史REAL大日本帝国海軍連合艦隊全史 (洋泉社MOOK 別冊歴史REAL)。数字は搭載可能な機数であり、実戦では必ずしもこの機数を使用していない。
※2…元々別の艦種として建造され、後に空母へ改装された艦の、空母への改装が終わった時期

元々アメリカは、大西洋(対ドイツ、イタリア)と太平洋(対日本)の両面へ艦隊を振り分けなければならず、太平洋艦隊だけでは日本海軍に対して劣勢でした。それが、珊瑚海海戦で空母レキシントンが撃沈されたことで、さらに差がついてしまいました。

この焦りが、アメリカがミッドウェーにおいて日本軍を撃退するために全力を尽くして準備をする原動力となったのです。

 

本項は、ミッドウェー海戦―主力空母四隻喪失。戦勢の転換点となった大海空戦の全貌を解明する (歴史群像太平洋戦史シリーズ)を元に構成しました。

 

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photo:Wikimedia, public domain
アイキャッチ画像:ミッドウェー島

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