ガダルカナル島をめぐる戦い(3)撤退-太平洋戦線崩壊の足音

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1942(昭和17)年8月7日から始まったガダルカナル島をめぐる日本軍と連合軍との死闘は、10月が終わる頃には日本軍の圧倒的な劣勢となっていました。本項では、ガダルカナル島をめぐる戦いからの幕引きにいたる過程と、この戦いが日本・連合軍双方に与えた影響を考えます。

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戦闘の終局

【海戦4】第三次ソロモン海戦(11月12日‐15日)

第38師団の輸送を助けるために、連合艦隊はガダルカナル島飛行場に戦艦による艦砲射撃を加え、飛行場を使用できなくする作戦を立てました。11月12日から15日にかけ、二度にわたり日本艦隊はサボ島を過ぎ、飛行場そばの海域まで夜間忍び寄りました。その都度、警戒に当たっていたアメリカ艦隊と激戦になり、日本側は敵の艦船を多数撃沈するも、戦艦2隻(比叡、霧島)を撃沈されてしまいました。敵艦船との戦いで相当の被害をこうむり、飛行場への砲撃をすることはできませんでした。

 

【輸送】第38師団ガダルカナル島輸送作戦(11月13日)

陸軍はさらに第38師団の約5000人をガダルカナル島へ上陸させることとしました。この兵と重火器は、11隻の輸送船で運ばれたものの、途中でアメリカ軍の猛攻を受け、11隻の輸送船のうち6隻が沈没、1隻が引き返すこととなりました。残った4隻も陸に物資を引き揚げている最中に攻撃を受け、炎上。引き揚げられた物資は米1500俵、大砲の弾薬260箱のみで、上陸した兵はほとんど丸腰でした。

第38師団上陸の前の時点で、ガダルカナル島の日本軍兵力は約2万人に達していましたが、飢えと病により、戦闘が可能な兵はわずか700~800人しかいませんでした。海軍はなんとかガダルカナル島へ物資を届けようと何度も輸送を試みました。高速の駆逐艦や、発見されにくい潜水艦を動員して、少しずつ物資輸送を行いました。これを日本軍は「ネズミ輸送」と自嘲し、連合軍は「トーキョーエクスプレス(Tokyo Express)」すなわち「東京急行」と呼んでいました。

11月30日に駆逐艦によって行った物資輸送では、ドラム缶に食料等を詰め、島の岸に近づいたらドラム缶を海に投げ込み、陸側からロープで引っ張るという方法をとることにしました。この作戦中に敵の重巡洋艦部隊と遭遇し、戦闘となりました。日本軍駆逐艦は魚雷や大砲で応戦し、敵重巡洋艦1隻を撃沈、3隻を大破させるという大きな戦果を挙げました(ルンガ沖夜戦)。しかし、大規模な戦闘が起きたことによって、物資の輸送そのものは実施できませんでした。

ガダルカナル島沖で撃破された日本の輸送船
ガダルカナル島沖で撃破された日本の輸送船

ガダルカナル島撤退(1943年2月1日‐7日)

ガダルカナル島をめぐる状況は好転せず、上陸した部隊の飢えと病の状況はひどくなる一方でした。死んだ戦友の肉を食べ、食糧を奪い合うなど、戦争をする部隊とは言えないほどになっていました。これ以上の作戦続行は行えないので、どのようにすべきか大本営では議論がされました。救出するにも、艦船が近づくこと自体が犠牲を伴う可能性が高いので、見殺しにするべきという意見が当初多くありました。しかし、ラバウルの陸軍第八方面軍司令官、今村均中将の強い反対もあり、最終的に12月31日に開催された御前会議(天皇出席のもと開催される日本の方針を決める最高会議)において、ガダルカナル島の部隊を撤退させることが決まりました。

撤退作戦は1943(昭和18)年2月1日、4日、7日に行われました。この期間は月明かりがなく、夜間の行動が敵に発見されにくいためです。この撤退作戦の間、アメリカ軍は不思議なほど攻撃を行わず、無事に約1万人の将兵がガダルカナル島から脱出することができました。

ガダルカナル島近海で撃墜される日本軍機
ガダルカナル島近海で撃墜される日本軍機(1942年11月12日)

 

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戦局の潮目を変えた戦い

こうしてガダルカナル島をめぐる戦いは、日本軍の撤退により終了しました。日本軍は陸海軍合わせて3万人強の兵を島に送り、そのうちの2万人以上の犠牲を出したにも関わらず、ついに飛行場を奪回することはできませんでした。海戦ではしばしば戦闘に勝利を収めましたが、肝心の飛行場の撃破や陸上部隊への物資輸送といった作戦目的は常に達成できず、戦いを重ねるたびに全体として日本軍に不利な状況が積み重なっていきました。

半年に及ぶこの戦いで、日本軍は多くのパイロットと航空機、艦船(特に駆逐艦と輸送船)、将兵を失いました。パイロット、将兵、航空機の被害が戦闘力に大きな影響をもたらすのはもちろんですが、海上作戦の手足となる駆逐艦と、物資運搬の要である輸送船を大量に喪失したことは、日本軍の作戦遂行能力が根本的に落ちていくことを意味していました。

連合軍も多くの犠牲者を出し、特に海戦においては多くの艦船を失ったものの、なんとか飛行場を守り抜くことができました。これにより、ソロモン諸島における制空権確保を有利に進めることが可能となり、さらに北方のラバウル、西のニューギニアの日本軍を追い詰める糸口を得ました。同時に、これまで日本兵を恐れる気持ちが強かった連合軍の将兵にとって、勝てる相手であるという自信を持たせる結果となりました。

 

関連年表


※戦略=戦略的勝利、戦術=戦術的勝利。それぞれの言葉の意味についてはこちらをご覧ください。 💡 戦略的勝利と戦術的勝利

1942(昭和17)年

11月

できごと 戦略 戦術
12-15 第三次ソロモン海戦 US_flag_51_stars.svg
13 日本軍第38師団ガダルカナル島輸送作戦 US_flag_51_stars.svg US_flag_51_stars.svg
 30 ルンガ沖夜戦 US_flag_51_stars.svg War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg

12月

できごと 戦略 戦術
31 御前会議でガダルカナル島撤退を決定

 

1943(昭和18)年

1月

できごと 戦略 戦術
15- 日本軍、ガダルカナル島空襲 US_flag_51_stars.svg
29-30 レンネル島沖海戦 War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg

2月

できごと 戦略 戦術
1-7 ★日本軍、ガダルカナル島撤退作戦(ケ号作戦) War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg War_flag_of_the_Imperial_Japanese_Army.svg

 

<もっと深く知るために:書籍のご紹介>

死闘ガダルカナル (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 6)」では、Vol.5に引き続きガダルカナル島をめぐる戦いの後半を取り上げています。Vol.5と同じく、豊富なデータとイラストで、当時の状況が目前に迫ってくるようです(Vol.5の紹介は「ガダルカナル島をめぐる戦い(1)経緯-日本軍前進基地の奪い合い」末尾にあります)。また、戦闘経過の解説も、臨場感あふれる筆致で、現場にいるかのような感覚を覚えます。ガダルカナル島後半戦がどのような戦いだったのか、多角的に知りたい、考えたい方にオススメの一冊です。以下の画像をクリックでAmazonで購入できます。
●主な取扱時期:第二師団夜襲、南太平洋海戦、第三次ソロモン海戦、輸送作戦、ガダルカナル島撤退作戦

 

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本項は

を元に構成しました。



photo:Wikipedia, public domain
アイキャッチ画像:空母エンタープライズとアメリカ海軍爆撃機「SBDドーントレス」(1942年12月19日)

 


 

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