崩壊する戦線(1)―地獄のニューギニア戦線(概要)

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ガダルカナル島からの撤退は、太平洋戦線の最前線であるソロモン諸島において、日本軍の劣勢が決定的になった出来事でした。以降、堰を切ったように連合軍の攻勢は勢いを増し、逆に日本軍は各所で敗退・全滅(玉砕)を続けていきます。「崩壊する戦線(1)」では、地獄と呼ばれたニューギニア戦線を概観します。

 

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ニューギニア島とは

ニューギニア島はオーストラリアの北に浮かぶ、広大な島で、日本の約2倍の面積があります。熱帯性気候で低地はジャングルに覆われているものの、島の中央部を東西に4000m級の高山が連なっているため、標高の高い場所は冷涼な気候となっています。戦前、島の西半分はオランダ、東半分はオーストラリアの植民地となっていました。

ニューギニア島の地形図
ニューギニア島の地形図。東西に島の中央を高い山が走っている。山の南北は熱帯雨林に覆われている。

 

<概要>形勢逆転の太平洋戦線-MO作戦・ミッドウェー海戦・ガダルカナル島をめぐる戦い」で見たように、日本軍はニューギニア島「ポートモレスビー」から飛来する、ラバウルやラエ、サラモアと言った日本軍基地への連合軍の爆撃隊を阻止するために、ポートモレスビー攻略作戦(MO作戦)を発令しました。しかし、それを阻止しようとするアメリカ軍空母との戦い(珊瑚海海戦)の影響により、MO作戦は中止となったため、ポートモレスビーを中心としたニューギニア島の連合軍の攻撃拠点はその後も日本軍の脅威となりました。

 

ニューギニア・ソロモン諸島と主要地域の位置関係青=ラバウル(日本軍拠点)ピンク=ポートモレスビー(ニューギニア、連合軍拠点)紫=ガダルカナル島(アメリカ軍基地)緑=ハワイ真珠湾(アメリカ太平洋艦隊拠点)、黒=ミッドウェー島(アメリカ軍基地)、オレンジ=東京茶色=シンガポール(日本海軍基地)

 

海からのポートモレスビー攻撃を断念した日本軍は、ニューギニア島を縦断する陸路で攻略することにします。アメリカ軍によるガダルカナル島上陸と同じタイミングである1942(昭和17)年8月、ニューギニアの日本軍(南海支隊)はブナから山を越え、ポートモレスビーを目指しましたが、途中で食糧が尽きたために撤退。戻るべき「ブナ」では連合軍との激戦が始まっており、その戦いに敗れた日本軍は北のラエ・サラモア付近まで退却をしました。

 

東部ニューギニア戦線関係図1オレンジ=ダンピール海峡青=ラバウル紫=ポートモレスビー緑=ブナピンク=サラモア、黒=ラエ

 

ダンピールの悲劇

ガダルカナル島を失った約1か月後の1943(昭和18)年2月28日、日本軍は東部ニューギニアを防衛するため、第51師団約7000名の兵を乗せた輸送船団をラバウルからラエへ出発させました。3月2日と3日、その輸送船団へ連合軍の爆撃隊が空襲を行い、8隻の輸送船全てと護衛の駆逐艦4隻を失い、輸送した兵の約半数にあたる3000人が溺死しました。3日に「ダンピール海峡」に差し掛かった時に攻撃を受けたため、この出来事は「ダンピールの悲劇」と呼ばれています。生存者は駆逐艦に救助されてラバウルに引き返し、ニューギニアに上陸したのはごく一部となりました。これにより、日本の東部ニューギニア防衛構想は破綻することとなりました。

ダンピール海峡で連合軍の攻撃を受け炎上する日本軍輸送船「旭盛丸」
連合軍の攻撃を受け炎上する日本軍輸送船「旭盛丸」(大同海運5,493総トン)
ダンピール海峡で連合軍の攻撃を受ける日本軍輸送船「太明丸」
攻撃を受ける日本軍輸送船「太明丸」

 

い号作戦

ダンピール海峡での輸送作戦失敗後、山本五十六連合艦隊長官は、大規模な航空作戦を決定しました。当時数々の戦闘で大損害を受けた日本空母部隊は再建途中でしたが、それでもその時点で使うことのできる空母搭載機や、基地航空隊の合計400機近い航空機をラバウル周辺の基地へ集め、4月7日から14日にかけて4回ほど、ガダルカナル島や東部ニューギニア島の連合軍艦船や基地へ大規模な空襲を行いました(い号作戦)。その結果、日本軍は多くの敵艦船や航空機を撃破したと判断。大戦果を挙げたと喚起にわきましたが、実際は日本軍の搭乗員が未熟なため戦果の判断に誤りが多く、連合軍側は大きな損害は受けていませんでした。一方で、日本側はさらに多くの搭乗員および航空機を喪失することとなり、航空戦力の一層の減退を招きました。

い号作戦時の日本海軍艦上爆撃機の部隊(ブナカナウ基地)
い号作戦時の日本海軍艦上爆撃機の部隊(ブナカナウ基地)

 

山本長官機撃墜事件(海軍甲事件)

い号作戦終了後、ラバウルにいた山本長官は、最前線のブーゲンビル島基地などへ、士気高揚のための視察を行うことにしました。この視察にはかなりの危険が伴うため、部下から止めるようにと進言がありましたが、山本長官は聞き入れませんでした。そして4月18日、2機の海軍爆撃機(一式陸上攻撃機)に分乗した山本長官と幕僚(ばくりょう=司令部の幹部)たちは、6機の護衛の零戦に守られてラバウルを出発。護衛機を増やすようにとの部下からの進言も、山本長官は拒否しました。

山本五十六
い号作戦終了後の4月18日、訓示・敬礼する山本長官。この姿が山本長官を捉えた最後の写真となった。

 

この視察計画の暗号電文はアメリカ軍に全て解読されており、スケジュールまで正確に読まれていました。そこで、この方面を監督するアメリカ海軍中枢部では山本長官機の撃墜を検討します。日本海軍には山本長官よりも優れた指揮官となる人材がいないと分析、撃墜した方が今後の戦いを有利に進められると結論を出し、ルーズベルト大統領に撃墜計画の承認を求めました。ルーズベルトの承認を受け、17機の攻撃機による襲撃計画を具体化させたアメリカ海軍は、時間通りに予定通りのコースを飛行してきた山本長官機の撃墜に成功しました。ジャングルに墜落した一番機は山本長官を含む全員が死亡。連合艦隊司令長官の後任には、古賀峯一大将が就任しました。

真珠湾奇襲攻撃の成功以来、国民的英雄となっていた山本長官の死は日本国民に大きな衝撃を与えました。国として葬儀を執り行う「国葬」(こくそう)がなされ、山本長官の仇を討てとばかり、国民の間では報復熱が高まる一方、海軍の士気は下がっていきました。

 

山本長官機撃墜事件関係図紫・点=ラバウル紫・線=日本側飛行経路ピンク=撃墜地点付近緑=山本長官視察目的地の一つ「ブイン」オレンジ・点ガダルカナル島オレンジ・線=アメリカ軍襲撃部隊飛行経路

 

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死んでも帰れぬニューギニア

ラエ・サラモアを守る日本軍は、アメリカ軍と3か月戦ったのち、1943年9月に撤退しました。標高4千メートル、富士山より高い「サラワケット山」を越え、北方のキアリという場所で別の軍団と合流。この間、険しい山を乏しい食糧で、しかも重装備で行軍したため、転落死や傷病死する兵が相次ぎました。その間にアメリカ軍は先回りするように日本軍の前に出ていました。以降、内陸を移動する日本軍の進軍を、海路移動するアメリカ軍が常に先回りし、日本軍は戦闘を行いつつ、攻撃を受けやすい海岸を避け内陸の高山地帯をつたって西へ退避することを繰り返していきました。

ブナの日本軍を攻撃するアメリカ軍軽戦車(1943年1月2日)
ブナの日本軍を攻撃するアメリカ軍軽戦車(1943年1月2日)

 

日本軍は総勢14万人もの将兵を東部ニューギニアに送り込んだものの、ジャングルの高山地帯の移動で大砲などの重い武器をまともに運ぶことができず、アメリカ軍の100分の1とも言われるほど劣勢な火力で戦うことを強いられました。さらに、食糧も医薬品も乏しく、ほとんどが飢えと病死で死んだと言われるガダルカナル島の戦いの悲惨な状況がここでも繰り返されました。ガダルカナル島では、戦略的な重要地点として、陸・海・空全てで日本とアメリカ軍が死闘を繰り広げましたが、東部ニューギニアをめぐる戦いでは、日本軍は空も海もアメリカ軍に対し圧倒的に劣勢になり、内陸にこもる日本軍をアメリカ軍は積極的に相手にせず、主力はサイパン方面へどんどん進んでいきました。

ニューギニアの日本軍は置いてけぼりを食った形となり、かといってアメリカ軍を撃退するような力はもはや無く、終戦までの約1年間「ウエワク」という地域の後方の高原地帯で自活生活をしながら、時々遊撃戦を挑むという格好になりました。日本軍は総勢14万人のニューギニア島上陸兵のうち、わずか1万2千名が生き残ったものの、終戦から日本に戻る間にも死亡者が続き、日本に帰還できたのは約1万人しかいませんでした。

 

東部ニューギニア戦線関係図2オレンジ=サラモアピンク=ラエ緑=サラワケット山、黒=キアリ、青=ウェワク

 

ウェワクで日本軍陣地を攻撃するオーストラリア兵(1945年6月)
ウェワクで日本軍陣地を攻撃するオーストラリア兵(1945年6月)

 

太平洋戦争末期、日本兵の間では次のような言葉が口にされたと言います。

ジャワの極楽 ビルマの地獄

死んでも帰れぬ ニューギニア

(最後まで連合軍の攻撃を受けなかったジャワ(インドネシア)は南海の極楽のようであり、日本兵の死体で埋め尽くされ、「白骨街道」と呼ばれたインパール作戦のあったビルマ(現ミャンマー)は地獄そのもの。ニューギニアは生き延びることはおろか、死んで骨となってすら帰ることもできないほど、凄惨な戦場だった)

 

第十八軍司令官足立二十三(はたぞう)中将
連合軍に降伏するニューギニア守備の第十八軍司令官安達二十三(はたぞう)中将。この後、安達中将は戦犯として拘留されている間に自決した。

 

本項は「オールカラーでわかりやすい!太平洋戦争」「図説 太平洋戦争」を元に構成しました。



photo: wikimdia, public domain

 


 

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