大平洋戦争において、日本本土への空襲は、陸海軍の基地や兵器工場などの軍事目標にとどまらず、多くの一般市民に多大な犠牲を強いるものでした。
広島・長崎への原爆投下を含めると、総計で50万人以上の一般市民が犠牲になったとも言われていますが※、大変な混乱の中の出来事であり、いまだに正確な人数はつかめていません。
ほとんどの大都市はアメリカ軍を中心とする連合国軍の空爆によって壊滅し、中小都市や農村にいたるまで、北海道から沖縄まで、文字通り老若男女を問わず空襲の猛火にさらされました。
※出典:東京大空襲・戦災資料センター、東京新聞(2015年8月2日)
一連の空襲により、日本の軍事力は大いに衰え、また工業や市民生活にも甚大な打撃を与えました。しかし、原爆投下とソ連参戦にいたるまで、日本の首脳部が降伏を決断することはありませんでした。
目次
初の本土空襲―ドーリットル空襲(1942年4月18日)
アメリカ軍による日本本土空襲は、開戦から半年も経たない1942(昭和17)年4月18日、第一回目が行われました(ドーリットル空襲)。真珠湾奇襲攻撃以来、日本軍の攻勢に敗退を続けていたアメリカ軍は、国内の戦意高揚を狙い、日本軍の意表を突く作戦を計画しました。
通常空母に搭載する爆撃機は小型のもので、航続距離がそれほど長くないため、空母が爆撃目標にかなり近づいてから発進させる必要があります。
しかし、当時は日本軍が大平洋の西半分を支配する勢いを示しており、空母で日本近海まで近づけば、事前に発見され、空母ごと撃沈されてしまう可能性が高いと考えられました。
そこで考えられたのが、航続距離の長い陸軍の中型爆撃機(B-25)を空母から発信させるという計画でした。
しかし、そのような爆撃機は飛び立つために長い滑走距離を必要とするため、空母の飛行甲板(ひこうかんばん、空母上の滑走路のこと)では距離が足りず(通常必要とされる距離の約半分)、通常は陸上の航空基地からしか発進させません。
さらに、発進した爆撃機が空母に戻って着艦するのはさらに難しく、複数機が着艦するのは空母のスペースから言っても無理がありました。
そこで、空母から発艦できるようにいくつかの工夫を重ね、訓練も積んで発艦はできるようになりました。しかし着艦は物理的に無理であるため、着艦させず、そのまま日本上空を飛び越え、中国の航空基地に着陸させるという計画でした。
この決死の攻撃隊は、指揮官の「ジェームズ・ドーリットル」陸軍中佐の名を冠し、「ドーリットル隊」と呼ばれました。
16機の爆撃機「B-25」を搭載した空母「ホーネット」は、日本の船舶に発信予定地よりもかなり手前で発見されてしまいました。奇襲攻撃でなければ空襲の効果が減ってしまうとアメリカ軍は考え、急きょB-25を発進させました。
東京などの上空に侵入した16機のうち、15機が爆撃に成功。爆撃の被害自体はそれほど大きくありませんでしたが、白昼、東京の空にアメリカ軍機の侵入を許したとして、日本軍をはじめ、日本社会に大きな精神的打撃を与える事件となりました。
B-29による本格的本土爆撃
次に日本本土が爆撃されたのは、ドーリットル空襲から2年後の1944(昭和19)年6月15日、北九州および八幡地方が、中国・成都(せいと)の基地から出撃したアメリカ軍新鋭爆撃機B-29 によって爆撃されました。
💡 B-29の性能等詳細はこちら ➡ 日本を襲う銀色の怪鳥-B-29とはどのような飛行機か
そして同年6月にマリアナ諸島サイパン島がアメリカ軍の手に落ちると、マリアナ諸島の各基地から出撃したB-29により、東北地方より南の日本本土が全てB-29の射程に収まるようになりました。
1945(昭和20)年3月10日に東京を襲った空襲(東京大空襲)をはじめとして、原爆を含めた日本側の空襲被害の大部分が、マリアナ諸島を飛び立ったB-29によるものです。
B-29は1944年11月から終戦までに、全国の主要都市113か所に延べ17,500機来襲し、爆弾11万個、焼夷弾(しょういだん)476万個以上※を投下しました。
※出典…(3)P.265
さらに、1945年3月に大平洋に浮かぶ硫黄島が陥落し、そこにもアメリカ軍の飛行基地が築かれたほか、日本近海に連合国軍の空母も出撃するようになりました。
これにより、北海道を含め日本全土が様々な種類の連合国軍機によって空襲を受けるようになりました。東京、広島、長崎、沖縄以外の都市で1,000名以上の民間人犠牲者を出した都市は以下のとおりです※。
- 大阪市(大阪府) 12,000人
- 神戸市(兵庫県) 8,414人
- 横浜市(神奈川県) 8,000人
- 名古屋市(愛知県) 7,858人
- 津市(三重県) 4,000人
- 鹿児島市(鹿児島県) 3,329人
- 浜松市(静岡県) 3,239人
- 豊川市(愛知県) 2,477人
- 富山市 (富山県) 2,275人
- 北九州市(福岡県) 2,251人
- 呉市(広島県) 2,070人
- 静岡市(静岡県) 2,010人
- 福岡市(福岡県) 2,000人
- 堺市(大阪府) 1,876人
- 岡山市(岡山県) 1,737人
- 徳島市(徳島県) 1,700人
- 福井市(福井県) 1,584人
- 日立市(茨城県) 1,578人
- 明石市(兵庫県) 1,464人
- 長岡市(新潟県) 1,460人
- 高松市(香川県) 1,359人
- 大牟田市(福岡県) 1,291人
- 和歌山市(和歌山県) 1,212人
- 甲府市(山梨県) 1,127人
- 仙台市(宮城県) 1,066人
- 佐世保市(長崎県) 1,030人
※出典…(1)。ただし不明者も多く、正確な人数は分からない部分もあることにご注意ください。
空襲で親を失った子どものお話し
本土空襲によって、多くの子どもが親を失い孤児となりました。そのうちの一人、東京大空襲でご両親を失くされた星野光世(ほしのみつよ)さんにお話を伺いました。インタビュー動画を交えての記事です。ぜひご覧ください。
💡 ブログ記事 ➡ 東京大空襲が子どもに与えた影響-ある戦争孤児の体験
本土空襲の関連要所図
オレンジ=中国・成都
紫=マリアナ諸島サイパン島(実際にはサイパン島以外の周辺の島からも飛び立ったが、簡略化のためサイパン島のみ表示)
ピンク=硫黄島
青=東京都
緑=広島市
黒=北九州市
紺=長崎市
より深く知りたい方のために
「図説 東京大空襲 全集・シリーズふくろうの本/日本の歴史」では、東京大空襲を中心として、そして本土の防空体制など、空襲に関する様々な解説をしています。本土空襲についてもっと知りたい方はぜひご覧ください。以下リンクからAmazon、楽天でご購入できます。
💡 書評はこちら ➡ 【書評】図説 東京大空襲(早乙女勝元)
本項は
(1)図説 東京大空襲 全集・シリーズふくろうの本/日本の歴史
(2)オールカラーでわかりやすい!太平洋戦争
(3)戦時用語の基礎知識―戦前・戦中ものしり大百科 (光人社NF文庫)
を元に構成しました。
関連ページ
photo:Wikimedia, public domain
アイキャッチ画像:空母ホーネットを飛び立つB-25(ドーリットル隊)