1944(昭和19)年7月にマリアナ諸島が陥落し、絶対国防圏が破られた日本は、疲弊した戦力を回復し、日本本土の防備を固めるために、時間を稼がねばなりませんでした。
そのため、援軍の見込みのない太平洋の島々では、守備隊が強力な陣地を築き、長期にわたって徹底抗戦する戦術に変化していきました。
広島・長崎への原爆投下を除けば、一回の空襲としては史上最大の犠牲者を出した東京大空襲。わずか2時間で東京の下町は地獄へと変わりました。本項では、東京大空襲のその時を概観します。