早期玉砕から徹底抗戦へ-ペリリュー島と硫黄島 manager•2017年8月10日 Tweet Pocket 1944(昭和19)年7月にマリアナ諸島が陥落し、絶対国防圏が破られた日本は、疲弊した戦力を回復し、日本本土の防備を固めるために、時間を稼がねばなりませんでした。 そのため、援軍の見込みのない太平洋の島々では、守備隊が強力な陣地を築き、長期にわたって徹底抗戦する戦術に変化していきました。 …続きを読む → Tweet Pocket ページ: 1 2
崩壊する戦線(4)-絶対国防圏の崩壊:マリアナ沖海戦とサイパン陥落 manager•2017年8月6日 Tweet Pocket 1944(昭和19)年6月、12万7000人の上陸部隊を乗せた輸送船団と、約900機の航空機を搭載した空母15隻からなる、計500隻のアメリカ軍大艦隊がマリアナ諸島沖に突如出現しました。 日本が設定した「絶対国防圏」の中で最も重要な地点のうちの一つであり、「難攻不落」と言われたサイパンが陥落し、日本軍機動部隊も壊滅してしまったマリアナ諸島をめぐる戦いとはどのようなものだったのでしょうか。 …続きを読む → Tweet Pocket ページ: 1 2
東京大空襲(2)-2時間で10万人の市民を焼き殺した焼夷弾の大量投下 manager•2017年3月3日 Tweet Pocket 広島・長崎への原爆投下を除けば、一回の空襲としては史上最大の犠牲者を出した東京大空襲。わずか2時間で東京の下町は地獄へと変わりました。本項では、東京大空襲のその時を概観します。 前編は ➡ 東京大空襲(1)-大量虐殺の序章:焼夷弾・ルメイ・ドレスデン …続きを読む → Tweet Pocket