教学聖旨(原文)

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教学聖旨敎學聖旨(きょうがくせいし)は、1879(明治12)年に内示された、天皇の教育に対する見解を示したもの。明治政府による初の学校教育制度の法令「学制」の有効性を認めつつ、その教育が知識才芸の「末」に走って、人間形成の「本」であるべき徳育をないがしろにしたと批判しています。以下に原文(新字体)を紹介します。

💡 参照ページ ➡ 戦前の教育(1)徳育重視の教育政策への道-明治維新から教育勅語まで(1868~1890)

  • 内示: 明治天皇(1852 - 1912)
  • 起草: 元田永孚(1818 - 1891)
  • 1879年(明治12年)内示

 

新字体


聖旨

教学大旨

教学ノ要、仁義忠孝ヲ明カニシテ、智識才芸ヲ究メ、以テ人道ヲ尽スハ、我祖訓国典ノ大旨、上下一般ノ教トスル所ナリ、然ルニ輓近専ラ智識才芸ノミヲ尚トヒ、文明開化ノ末ニ馳セ、品行ヲ破リ、風俗ヲ傷フ者少ナカラス、然ル所以ノ者ハ、維新ノ始首トシテ陋習ヲ破リ、知識ヲ世界ニ広ムルノ卓見ヲ以テ、一時西洋ノ所長ヲ取リ、日新ノ効ヲ奏スト雖トモ、其流弊仁義忠孝ヲ後ニシ、徒ニ洋風是競フニ於テハ、将来ノ恐ルヽ所、終ニ君臣父子ノ大義ヲ知ラサルニ至ランモ測ル可カラス、是我邦教学ノ本意ニ非サル也、故ニ自今以往、祖宗ノ訓典ニ基ツキ、専ラ仁義忠孝ヲ明カニシ、道徳ノ学ハ孔子ヲ主トシテ、人々誠実品行ヲ尚トヒ、然ル上各科ノ学ハ、其才器ニ隨テ益々長進シ、道徳才芸、本末全備シテ、大中至正ノ教学天下ニ布満セシメハ、我邦独立ノ精紳ニ於テ、宇内ニ恥ルヿ無カル可シ、

小学条目二件

一 仁義忠孝ノ心ハ人皆之有リ、然トモ其幼少ノ始ニ、其脳髄ニ感覚セシメテ培養スルニ非レハ、他ノ物事已ニ耳ニ入リ、先入主トナル時ハ、後奈何トモ為ス可カラス、故ニ当世小学校ニテ絵図ノ設ケアルニ準シ、古今ノ忠臣義士孝子節婦ノ画像写真ヲ掲ケ、幼年生入校ノ始ニ先ツ此画像ヲ示シ、其行事ノ概略ヲ説諭シ、忠孝ノ大義ヲ第一ニ脳髄ニ感覚セシメンヿヲ要ス、然ル後ニ諸物ノ名状ヲ知ラシムレハ、後来忠孝ノ性ヲ養成シ、博物ノ学ニ於テ本末ヲ誤ルヿ無カルヘシ、

一 去秋各県ノ学校ヲ巡覧シ、親シク生徒ノ芸業ヲ験スルニ、或ハ農商ノ子弟ニシテ其説ク所多クハ高尚ノ空論ノミ、甚キニ至テハ善ク洋語ヲ言フト雖トモ、之ヲ邦語ニ訳スルヿ能ハス、此輩他日業卒リ家ニ帰ルトモ、再タヒ本業ニ就キ難ク、又高尚ノ空論ニテハ、官ト為ルモ無用ナル可シ、加之其博聞ニ誇リ長上ヲ侮リ、県官ノ妨害トナルモノ少ナカラサルヘシ、是皆教学ノ其道ヲ得サルノ弊害ナリ、故ニ農商ニハ農商ノ学科ヲ設ケ、高尚ニ馳セス、実地ニ基ツキ、他日学成ル時ハ、其本業ニ帰リテ、益々其業ヲ盛大ニスルノ教則アランヿヲ欲ス、

出典:Wikisource 教学聖旨

 

 

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