戦時教育令(原文)

Pocket
LINEで送る

 戦時教育令は、敗戦の色が濃くなってきた1945(昭和20)年5月、同年3月に閣議決定されていた「決戦教育措置要綱」を実施するために布告された勅令です。学徒を、食糧増産、軍需生産、防空防衛、重要研究等、喫緊に必要とされる重要業務に就かせるとともに、戦時に必要な教育訓練を行うため、学校ごとに教職員と学徒によって学徒隊を組織することを定めました。

💡 関連ページ ➡ 戦前の教育(2)軍国主義の中の教育-教育勅語以降から敗戦まで(1890‐1945)

  

皇祖考曩ニ國體ノ精華ニ基キテ教育ノ大本ヲ明ニシ一旦緩急ノ際義勇奉公ノ節ヲ効サンコトヲ諭シ給ヘリ今ヤ戰局ノ危急ニ臨ミ朕ハ忠誠純眞ナル青少年學徒ノ奮起ヲ嘉シ愈其ノ使命ヲ達成セシメンガ爲樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ戰時教育令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム

御名御璽
 
昭和二十年五月二十一日
内閣総理大臣 男爵 鈴木貫太郎
文部大臣   太田 耕造
内務大臣   安倍 源基
大東亜大臣   東郷 茂德

 

 

 

 

勅令第三百二十號

戰時教育令

第一條 學徒ハ盡忠以テ國運ヲ雙肩ニ擔ヒ戰時ニ緊切ナル要務ニ挺身シ平素鍛鍊セル敎育ノ成果ヲ遺憾ナク發揮スルト共ニ智能ノ鍊磨ニ力ムルヲ以テ本分トスベシ

第二條 敎職員ハ率先垂範學徒ト共ニ戰時ニ緊切ナル要務ヲ挺身シ俱學俱進以テ學徒ノ薰化啓導ノ任ヲ全ウスベシ

第三條 食糧增產、軍需生產、防空防衞、重要硏究等戰時ニ緊切ナル要務ニ挺身セシムルト共ニ戰時ニ緊要ナル敎育訓練ヲ行フ爲學校每ニ敎職員及學徒ヲ以テ學徒隊ヲ組織シ地域每ニ學徒隊ヲ以テ其ノ聯合體ヲ組織スルモノトシ二以上ノ學徒隊ノ一部又ハ全部ガ同一ノ職場ニ於テ挺身スルトキハ文部大臣ノ定ムル場合ヲ除クノ外其ノ職場每ニ敎職員及學徒ヲ以テ學徒隊ヲ組織シ又ハ學徒隊ヲ以テ其ノ連合體ヲ組織スルモノトス

 學徒隊及其ノ聯合體ノ組織編制、敎育訓練、指導監督其ノ他學徒隊及其ノ連合體ニ關シ必要ナル事項ハ文部大臣之ヲ定ム

第四條 戰局ノ推移ニ卽應スル學校敎育ノ運營爲特ニ必要アルトキハ文部大臣ハ其ノ定ムル所ニ依リ敎科目及授業時數ニ付特例ヲ設ケ其ノ他學校敎育ノ實施ニ關シ特別ノ措置ヲ爲スコトヲ得

第五條 戰時ニ際シ特ニ必要アルトキハ學徒ニシテ徵集、召集等ノ事由ニ因リ軍人(陸海軍ノ學生生徒ヲ含ム)ト爲リ、戰時ニ緊切ナル要務ニ挺身シテ死亡シ若ハ傷痍ヲ受ケ又ハ戰時ニ緊要ナル專攻學科ヲ修ムルモノハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ正規ノ期閒在學セズ又ハ正規ノ試驗ヲ受ケザル場合ト雖モ之ヲ卒業(之ニ準ズルモノヲ含ム)セシムルコトヲ得

第六條 本令中文部大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮總督、臺灣ニ在リテハ臺灣總督、關東州及滿洲國ニ在リテハ滿洲國駐箚特命全權大使、南洋群島ニ在リテハ南洋廳長官トス

附則

 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

 

出典:Wikisource 戦時教育令

Pocket
LINEで送る