ミッドウェー海戦(3)戦闘―主力空母4隻撃沈の悲劇

Pocket
LINEで送る

前回までで、ミッドウェー海戦にいたるまでの経緯、アメリカの準備状況を概観しました。本項では、いよいよ太平洋戦争の序盤における「天王山の戦い」とも言える、ミッドウェー海戦の本編に迫ります。

作戦開始

1942(昭和17)年6月4日(現地時間)早朝、ついに日本海軍連合艦隊によるミッドウェー作戦が開始されました。連合艦隊司令部は、それまでの敵の情勢から、アメリカ太平洋艦隊は日本がミッドウェー島を占領するまで、日本の空母機動部隊には気付かないと考えていました。万一敵空母部隊が現れれば、すかさず攻撃をする算段でした。

早朝、ミッドウェー島から飛来したアメリカ軍航空機(主として大小の爆撃機)が機動部隊へ攻撃して来ました。しかし、護衛の零戦や空母および護衛艦艇の対空砲火にほとんどが撃墜されました。
※零戦…れいせん、ゼロ戦。日本海軍の代表的艦上戦闘機である「零式艦上戦闘機」(れいしきかんじょうせんとうき)。

ミッドウェー島
「サンド島」と「イースタン島」からなるミッドウェー島。島いっぱいに張り巡らされた滑走路が見える。

 

読まれていた日本の攻撃

空母から飛び立った日本軍航空機は、予定通りミッドウェー島に攻撃を仕掛けます。しかし前項「ミッドウェー海戦(2)アメリカの執念―解読されていた暗号」で解説したように、アメリカ軍は既にこの攻撃を察知しており、ミッドウェー島は防御を固めていました。

日本軍航空機は、猛烈な対空砲火を浴び、島の滑走路など、軍施設に満足に攻撃を加えられませんでした。加えて、島にあったアメリカ軍の航空機は、日本軍からの攻撃を回避するために既に飛び立っており、飛行場に止まっている航空機を破壊することもできませんでした。

そのため、最初にミッドウェー島を攻撃した「第一次攻撃部隊」は、さらに同島を攻撃する必要がある、と機動部隊へ無線で連絡をしました。

ミッドウェー島空襲で爆発するオイルタンク
ミッドウェー島空襲で爆発するオイルタンク

 

早朝のアメリカ軍爆撃部隊の攻撃を受け、機動部隊司令部は、周辺にアメリカ太平洋艦隊の空母はいないだろうという考えをより強めていました。

その理由は、日本軍空母めがけてやってきた爆撃機の腕が悪くかったこと、そして通常爆撃機には付き物の護衛の戦闘機がいなかったことです。

これらのことから、空母部隊に比べて腕の悪い、ミッドウェー島の航空部隊のみが攻撃を仕掛けてきていると判断をしました(空母での発着艦は高い技量が要求されるため、一般的に空母艦載機の搭乗員の技量は高いとされる)。

運命を分けた「兵装転換」

戦闘では、攻撃能力を最大化するために、場合によって使用する爆弾を使い分けることが必要です。

ミッドウェー海戦の場合、陸上の基地を攻撃するための爆弾(コンクリートなど建造物を破壊するのに適している)と、空母など艦船を撃沈するための航空機用魚雷(航空魚雷)が主に使用を想定されていました。

そして陸上用爆弾から航空魚雷への転換は、空母に搭載されいている爆撃機全ての転換が終わるのに、約2時間かかりました。搭載する兵器を転換することを「兵装転換」(へいそうてんかん)と呼びます。

真珠湾攻撃で使用された日本海軍の航空機用爆弾と魚雷
真珠湾攻撃で使用された日本海軍の航空機用爆弾(上・下)と魚雷(中)のレプリカ。 写真出典:By User:J JMesserly (Own work) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

 

一度目の兵装転換:航空魚雷→陸上用爆弾

連合艦隊空母の攻撃部隊は、アメリカ軍空母を発見した場合に備え、魚雷を装備した航空機も用意していました。

しかし、ミッドウェー島を早朝攻撃した第一次攻撃隊から、再度陸上基地を攻撃する必要があるという連絡を受けたため、魚雷を装備していた航空機について、機動部隊の南雲忠一(なぐもちゅういち)長官は、陸上攻撃用爆弾への転換を命じました。

二度目の兵装転換:陸上用爆弾→航空魚雷

しかし、その兵装転換の最中、偵察機から、敵空母を発見したという連絡を受けます。そこで、南雲長官は空母への攻撃を優先させることにし、陸上用に交換しつつあった兵装を、再び魚雷にするように命じました。

敵空母を発見したということは、敵の艦載機が既にこちらに向かっている可能性が高いことを意味します。そのため、早く空母から航空機を発進させないと、敵の艦載機に攻撃を受けてしまいます。

したがって、機動部隊の幹部には、魚雷への転換をせずに、準備のできた陸上用爆弾を装備した航空機を先に飛び上がらせ、とにかくそのまま空母へ攻撃を仕掛けるべきだと主張する人もいました。

護衛戦闘機(この場合は零戦)を飛び立たせることで、敵の襲来に備えることができ、また、魚雷に比べ効果は薄いものの、陸上用爆弾でも空母を攻撃をすることはできるからです。

ミッドウェー海戦でのアメリカ軍空母「エンタープライズ」と艦載機(TBD)
ミッドウェー海戦でのアメリカ軍空母「エンタープライズ」と艦載機

 

しかし、確実に敵空母を仕留めることを優先し、南雲長官は転換を命じました。陸上用爆弾から航空魚雷への転換は急ピッチで進められました。以上をまとめると、日本軍機動部隊は以下のように兵装転換を繰り返したことになります。

魚雷→爆弾→魚雷

その間、先ほどミッドウェー島を攻撃して帰ってきた第一次攻撃隊の日本軍空母への収容作業が行われました。空母は着艦と発艦を同時に行うことはできません。

したがって、どちらかが終わるまで、もう片方は待つ必要があります。攻撃を終えて戻ってきた空母艦載機は、燃料が尽きれば海上に不時着するしかなくなり、機体を失ってしまうため(着水に失敗しなければパイロットは生きたまま回収できる)、南雲長官はまず第一次攻撃隊の収容を先にしました。

一瞬の隙を突かれ空母3隻を喪失

その間、アメリカ軍空母から発進した艦載機がついに日本空母部隊めがけてやってきました。

最初の一群は、低空からやってきて魚雷による攻撃を試みましたが、護衛の零戦と対空砲火でほとんどが撃墜されました。そしてやっと兵装転換が終わり、最初の零戦が飛び立った時、日本空母部隊上空にアメリカ軍急降下爆撃機が次々に現れたのです。

護衛の零戦は低空の敵機を撃退していた時であり、上空がガラ空きでした。敵は日本機動部隊の4隻の空母のうち、かたまって行動していた「赤城」(あかぎ)「加賀」(かが)「蒼龍」(そうりゅう)の3隻に続々と爆弾を落としました。

赤城は2発、加賀は4発、そして蒼龍は3発の直撃弾を受けました。

※ミッドウェー海戦に参加した空母の種類や数については「ミッドウェー海戦(2)アメリカの執念―解読されていた暗号」を参照ください。

アメリカ海軍急降下爆撃機「SBDドーントレス」
ミッドウェー海戦で大活躍した、アメリカ海軍急降下爆撃機「SBDドーントレス」。雲間から次々に日本空母へ爆弾を落とした。

 

おりしも急を要する兵装転換によって、外した魚雷はきちんと格納されることなく、艦内にゴロゴロしていた時でした。また、各空母の甲板上は、発進を待つ航空機でいっぱいでした。

そんな中に爆弾が落ちたため、瞬く間に艦内の魚雷に誘爆し、大爆発を引き起こしました。

さらに、甲板上の航空機は燃料を満載しており、爆発の影響で一斉に引火し、爆発、炎上し、空母は瞬く間に火の海となってしまいました。こうして、日本海軍の空母3隻は、わずか数十分の間に戦列から外れてしまったのです。この3隻は、この日全艦沈没します。

ミッドウェー海戦でアメリカ軍航空機の攻撃にさらされ、退避行動を取る空母「赤城」
アメリカ軍航空機の攻撃にさらされ、退避行動を取る空母「赤城」(写真右下)。

 

そんな中、3隻から離れて航行していた空母「飛龍」はまだ無傷でした。

飛龍は、第二航空戦隊司令長官の山口多聞(やまぐちたもん)少将に率いられていました。山口長官はすかさず反撃の航空機を、敵空母めがけて出発させました。

飛龍から飛び立った攻撃部隊は多くの被害を出しながらも、爆弾3発、魚雷2発をアメリカ海軍太平洋艦隊の空母「ヨークタウン」に命中させ、ヨークタウンは航行不能に陥りました。(ヨークタウンはその後日本軍潜水艦の魚雷攻撃により沈没させられている)

山口多聞少将
第二航空戦隊司令長官 山口多聞少将

 

アメリカ軍航空機の攻撃は、唯一残った空母の飛龍に集中します。4発の爆弾を受け、飛龍も沈没してしまいました。

山口司令長官は沈没に際しても艦を移ることなく、飛龍と運命を共にしました。

ミッドウェー海戦で撃破された空母「飛龍」
撃破された空母「飛龍」

 

ミッドウェー作戦では、機動部隊によるミッドウェー島攻撃ののち、陸上攻略部隊による艦砲射撃と上陸が予定されており、多くの戦艦とともに機動部隊の後方に控えていました。

しかし、陸上攻撃の前提となる機動部隊本隊が跡形もなく消え去ったことで、作戦自体が中止されることとなりました。

 

日本・アメリカの命運を分けたミッドウェー海戦

日本海軍は虎の子の主力空母4隻、艦載機263機全機、真珠湾攻撃以来の経験豊富なパイロットの多くを、たった一日で失ってしまいました。

一方でアメリカ軍は、空母3隻と劣勢で立ち向かったものの、空母1隻の喪失で済みました。アメリカ軍も多数の航空機を撃墜され、被害は大きかったものの、日本の空母4隻を沈めたということは、戦局を逆転させる大勝利と言えました。

真珠湾攻撃のような奇襲攻撃の再来を期待した日本軍でしたが、逆にアメリカ軍の待ち伏せに遭い、徹底的な敗北となったのです。

本作戦は、戦力が拮抗している中での不運な失敗というよりも、戦略・戦術面で日本軍よりもアメリカ軍の方が緻密な計算と準備を積み重ねていることが表面化したことによる敗北でした。

しかし、日本はそのことを直視できず、その後の連続的な敗退の端緒となってしまいます。

ミッドウェー海戦 戦力・損害比較

  日本 アメリカ
目的
  • ミッドウェー島アメリカ軍基地の破壊と占領
  • アメリカ軍機動部隊の撃滅
日本海軍機動部隊の撃滅
主な戦力
※1

空母 4(+小型空母2戦闘には加わらない)
艦載機※2 263
戦艦 9
重巡洋艦 10
軽巡洋艦 7
駆逐艦 53
潜水艦 17

空母 3
艦載機 229
基地航空隊 60※3+大型爆撃機 23
戦艦 0
重巡洋艦 7
軽巡洋艦 1
駆逐艦 17
潜水艦 19
主な損害※4
空母 4 (100%)
艦載機  263(100%)
戦艦 0 (0%)
重巡洋艦 1(10%)
軽巡洋艦 0 (0%)
駆逐艦 0 (0%)
潜水艦 0 (0%)

空母 1 (33%)
戦艦 0 (0%)
重巡洋艦 0 (0%)
軽巡洋艦 0(0%)
駆逐艦 1 (6%)
潜水艦 0 (0%)
航空機 不明

結果
  • 主力空母4隻を喪失。同時に多くの歴戦のパイロットと艦載機を失う。機動部隊の立て直しに多大な時間とコストがかかることになる
  • ミッドウェー作戦全体の中止
  • 太平洋方面の作戦の練り直しが必要に
  • 太平洋における日本・アメリカの軍事力のバランスを取り戻した
  • 日本軍を撃退できるという自信を取り戻した
  • 空母1隻を失い、空母部隊は依然として苦戦を続ける

※1主な戦力…日本軍の戦力にミッドウェー攻略部隊は含まない。
※2艦載機…小型空母2隻の分は含まない。
※3基地航空隊…戦闘機、艦上爆撃機、雷撃機の合計。飛行艇は含まず。
※4主な損害…軍艦は沈没・大破の数、%=参加戦力のうちの損耗率(損害/戦力)
表データ出典:ミッドウェー海戦―主力空母四隻喪失。戦勢の転換点となった大海空戦の全貌を解明する (歴史群像太平洋戦史シリーズ)

 

 

本項は、ミッドウェー海戦―主力空母四隻喪失。戦勢の転換点となった大海空戦の全貌を解明する (歴史群像太平洋戦史シリーズ)を元に構成しました。

 

もっとミッドウェー海戦を知りたい方へ

ミッドウェー海戦―主力空母四隻喪失。戦勢の転換点となった大海空戦の全貌を解明する (歴史群像太平洋戦史シリーズ)」では、当時の写真、イラスト、データを豊富に使用し、ミッドウェー海戦を詳細に解説しています。日米双方の戦略目的から、使用兵器、士官が何を考えていたのか、より詳しくミッドウェー海戦を知りたい方にはオススメの一冊です。(リンクからアマゾンで購入できます)

 

 

 

photo:Wikimedia, public domain
アイキャッチ画像:空母「飛龍」から飛び立った艦載機に攻撃を受ける空母「ヨークタウン」

 

Pocket
LINEで送る