戦艦大和―日本海軍の栄光と悲劇の象徴―

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世界最大・最強を謳われた戦艦「大和」は、日本海軍がアメリカ艦隊に対抗するための最終兵器として開発した戦艦でした。

攻撃力のみならず、各所に当時の最先端の技術が盛り込まれていました。しかし、既に時代は戦艦を中心とした海戦を必要としなくなっていました。

日本の期待を一心に背負って生まれた大和は、なすすべもなく悲劇の象徴となっていくことになります。

 

戦艦の役目

太平洋戦争以前の戦争では、敵の軍艦をより遠くから、強力に攻撃できる軍艦が求められていました。

戦艦」は軍艦の中でも特に大型で、大きな砲を積んでいるものを指します。戦艦からサイズを下っていくと、巡洋艦(じゅんようかん。その中でもサイズ別に重巡洋艦・軽巡洋艦に分かれる)、駆逐艦(くちくかん)、となります。

強力な砲を搭載した戦艦は、戦闘において敵を倒すという目的以外にも、その国の威信の象徴であり、また、技術力・工業力の高さの指標ともなっていました。

航空戦艦「伊勢」
航空戦艦「伊勢」

 

戦艦大和の基本コンセプト

戦前の日本では、ソ連とアメリカが主な仮想敵国でした。海軍が主役となる海における戦いは、太平洋を隔てて接しているアメリカとどのように対戦するかが大きな課題でした。

アメリカは資源が豊富で、かつ日本よりもはるかに高い工業生産力を持っていたため、日本海軍は、物量で勝負するのは不利だと考えました。

そのため、アメリカの戦艦の大砲が届かない距離から、強力な大砲を撃つことのできる戦艦を開発し、一つひとつの艦の「質」を高めることでアメリカと対抗するというのが日本にとっては重要であると考えられました。

戦艦大和
戦艦大和

 

その点日本は、有利な点が一つありました。アメリカは東海岸を大西洋と、西海岸を太平洋と接しています。

軍艦を大西洋と太平洋で共に使えるようにするには、パナマ運河か、南米大陸をはるかに下って回り込まないといけません。

南米大陸を回り込む航路は、パナマ運河を通るよりもおよそ2万km余計に進まないといけず、回航に多くの時間と労力、燃料がかかります。2万kmというのは東京・大阪間を直線距離で約20往復分であり、当時の戦艦の全速力に近い50km/hで走り続けても、約17日間かかります。

そのため、基本的にアメリカの軍艦はパナマ運河を通れるように、パナマ運河の最も狭い部分である、幅33.5m以下になるように抑えられていました。

オレンジ=パナマ運河
紫=ホーン岬(南米最南端)

 

戦艦は大きな砲を積めば積むほど重くなり、その重さを支え、バランスを取るには必然的に艦の幅も大きくする必要があります。

また、砲の威力が大きくなると、発射時の反動も大きくなり、発射時に艦をなるべく安定させるためにも幅を大きくすることは必要でした。

そこで、日本海軍は、戦艦にそれまでよりもさらに大型の大砲を何門も積むことを考えました。それを進めていけば、いずれ艦の幅は33.5m以上にならざるを得ず、必ずアメリカよりも強力な戦艦になると考えました。

大和には46センチ砲という、それまで主力とされていた40センチ砲と比べて6センチも口径が大きい大砲を9門(3連装×3基)搭載しています。この大砲は1基(3門セット)が全体で普通の駆逐艦以上の重さがあるという、巨大なものでした。

その結果、大和の幅は一番太いところで38.9mとなっており、まさに「パナマ運河を通れない」軍艦であるばかりか、世界最大・最強の戦艦となりました。

戦艦大和
レイテ沖海戦(シブヤン海海戦)でアメリカ軍航空機と交戦する大和。横幅のある艦型であることが分かる

 

この他にも大和には様々な特徴が盛り込まれた戦艦であり、当時の日本の技術力の結晶であると言えるでしょう。以下に大まかに大和の特徴を解説します。

特徴

世界最大の46センチ砲

大和の主砲(その艦で一番大きな大砲)の直径は46センチありました。この大砲は、最大の射程が出るように発射されると、砲弾は高さ1万1900メートル(富士山=標高3776mの3倍以上)まで上がり、90秒後に4万1千メートル(41㎞)の地点に落下しました。

この距離はアメリカ戦艦で最大の射程を持つ40センチ砲と比べても、5000m(5㎞)遠くまで飛び、破壊力は1.6倍ありました。

大和の主砲の射程は、東京駅から発射したとすると、西は八王子のあたりまで、北は川越や春日部を通り超え、東は千葉市や市原市を含み、南は横浜を通り超え、横須賀の手前まで到達します。この距離を90秒で飛びました。

大阪駅から発射したとすると、北東方向には京都駅の手前、西へは神戸をはるかに通り越して明石の手前、南は泉佐野を通り越す範囲に届きます。

 

工夫を加えた砲弾

さらに大和の46センチ砲は、砲弾にも工夫が凝らされていました。「九一式徹甲弾」(きゅういちしきてっこうだん、下写真左)は、砲弾の先に帽子状のキャップがついています。

通常の砲弾は海面に着弾すると、飛び跳ねるか、まっすぐに沈んでしまうのに対して、九一式徹甲弾はこのキャップが外れ(下写真右の状態)、水面下をある程度の距離直進し、命中後艦の内部で爆発するように仕掛けてあります。

そのため、敵の艦船の手前に着弾した場合でも、九一式徹甲弾だと命中し敵艦にダメージを与えられる確率が高まります。

もう一つが「三式弾」(さんしきだん、下写真中央)で、これは事前に設定していた地点に到達すると弾が破裂し、中から小さな弾が扇状に発射されるようになっています。

主に上空から襲ってくる航空機に対して使用されました。小型の航空機に対しては大きな砲弾を当てる必要はなく(またそれは極めて難しい)、撃墜するには中から出る小さな弾で十分です。この三式弾が対航空機用の砲弾としてアメリカ軍にも恐れられました。

しかし、46センチ砲は威力が大きい分発射時の爆風がものすごく、艦上に人がいると吹き飛ばされ、命の危険すらあるほどでした。発射には慎重を期す必要のある、ある意味で危険な大砲でもありました。

戦艦大和46センチ砲の砲弾(九一式徹甲弾、三式弾)
戦艦大和46センチ砲の砲弾。左から、九一式徹甲弾(キャップ(風帽・被帽)付き)、三式弾、九一式徹甲弾(弾体=砲弾本体) By メルビル (Own work) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

 

徹底した防御

戦艦が実際の戦闘を行う相手は、戦艦などの軍艦か、陸上の砲台が主に想定されていました(航空機による攻撃は、太平洋戦争が始まるまであまり重視されてきませんでした)。

つまりこちらだけが一方的に撃つというよりは、大砲や魚雷の打ち合いになる可能性が高く、敵の砲弾や魚雷がある程度命中しても、艦を守ることができ、安定性に支障が出にくくすることが求められます。

大和は防御を強化するため、厚い装甲板で覆われていました。自らの46センチ砲を2万~3万5千メートルの距離から撃たれた場合でも、10発まで耐えられるように設計されています。

中でも、砲塔、弾薬庫・火薬庫、機関部などの特に重要な部分は集中的に分厚い装甲板で覆われ、最も厚い部分で65センチ(砲塔)もの装甲板が使われていました。

また、艦内はいくつもの細かい区画に仕切られ、一部分が浸水しても全体に進水が及ばないように設計されていました。

片方の側(片舷)が浸水したら、反対側にも同じ量の海水を注入し、バランスを一定に保つようになっています。このような工夫により、打撃に強く、浸水の場合もバランスを崩しにくい工夫が凝らされていました。

サイズと速度のバランスを追究

船は一般的に、同じ重さであれば幅は狭くした方が水の抵抗が少なくなり、速度が出ます。しかし、幅を狭くするということは、浮力を得るために長さを長くする必要があるということにもなります。

大和の場合は、重量級のため、幅を狭くし長さを長くすると艦の面積が大きくなり過ぎてしまい、敵の攻撃を受けやすくなります。そこで、太めの幅の設計が採用されました。上から見ると多少ずんぐりむっくりな様子が分かります。

大和の水面下の艦首(かんしゅ=艦の先頭)部分ですが、丸く出っ張っていることがわかります。これは「バルバス・バウ(球状艦首)」と呼ばれる設計で、船が進むときに生まれる水の抵抗を少なくする構造です。

大和以前からありましたが、当時としてはこのように大きなバルバス・バウは世界でも珍しいものでした。設計の段階で大きな模型を50種類以上作り、バルバス・バウの最適な大きさを検討した結果、海面に接する部分から3m突き出すのが良いということが分かりました。

このバルバス・バウのおかげで、水の抵抗が少なくなり、より小型化することに成功したほか、燃費が向上しました。

 

戦艦大和
戦艦大和(最終型) 作者 Alexpl (投稿者自身による作品) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) または CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で

 

大和とイギリス・アメリカ戦艦 スペック比較

それでは、大和と、太平洋戦争中のイギリス・アメリカの代表的な戦艦とのスペックを比較してみます。数値は様々な条件で多少変わってくるため、あくまで参考としてください。

「プリンス・オブ・ウェールズ」…イギリス。新鋭艦として期待されたが、開戦初頭の「マレー沖海戦」で日本海軍航空部隊の攻撃で爆弾と魚雷数発を受け、「巡洋戦艦レパルス」と共に沈没。

 💡 「マレー沖海戦」についてはこちら ➡ 「マレー沖海戦-戦争の概念を変えた作戦

「アイオワ」…アメリカ。太平洋戦争中盤に就役した戦艦で、この中では最も新しい。高速と長大な航続距離が特徴。

艦の重さを示す排水量を見ると分かるように、大和は他の2艦よりもずば抜けて大きく、アイオワの約1.3倍、プリンス・オブ・ウェールズの約1.7倍あります。

しかし、全長はプリンス・オブ・ウェールズよりも40m長いものの、アイオワよりも7m短く、幅はアイオワよりも6m、プリンス・オブ・ウェールズよりも7m太くなっており、この排水量の艦としては、長さが短く、幅が太いのが特徴と言えます。

最高速度はアイオワが最も速く、これは主に機関の出力に起因しているものと思われます。

以下の表にはありませんが、各艦の出力を並べると、大和15万4千馬力、プリンス・オブ・ウェールズ12万5千馬力、アイオワ21万5千馬力となっており、アイオワが最も強力な機関を備えていました。

最後に武装ですが、上述したように主砲は大和が最も大きく、副砲(その艦で2番目に大きな砲)も大和は最も大きなものを積んでいます。

この表では大和の武装は最終時のものになっていますが、元々副砲はこの倍の数あり、代わりに高角砲や機銃はこれよりもかなり少なくなっていました。

戦況が進むにつれ、航空機からの攻撃に対して防御できるようにすることが、敵の艦船を砲撃するよりも重要であるということがはっきりしてきたため、小回りの利きにくい大きな砲を下ろし、上空を飛ぶ航空機への攻撃に有効な小規模の火器を大量に積むようにしたのです。

 艦名 大和※1 プリンス
オブ
ウェールズ
アイオワ
完成年月 1941年12月 1941年3月 1943年2月※2
排水量※3 72,808t 43,786t 57,450t
全長 263.0m 227.1m 270.4m
全幅 38.9m 31.5m 32.9m
速力 50.9km/h 51.9km/h 61.1km/h
航続距離 14,575km
(30km/h時)
25,928㎞
(26km/h時)
29,447㎞
(31km/h時)
主砲 46㎝×9門
(3連装×3基)
35.6㎝×10門
(4連装×2基
+連装×1基)
40.6㎝×9門
(3連装×3基)
副砲 15.5㎝×6門
(3連装×2基)
13.3㎝×16門
(連装×8基)
12.7㎝×20門
(連装×10基)
その他武装 12.7㎝高角砲
×24門
(連装×12基)
25mm機銃
×150丁
(3連装×50基)
25mm機銃
×2基
13mm機銃
×4丁
(連装×2基)
40mm機関砲×32門
(8連装×4基)
40mm機銃
×8丁
(8連装×1)
40mm機銃
×80丁
(4連装×20基)
20mm機銃
×47丁

※1…大和兵装データは最終時
※2…就役年月
※3排水量…船の重量を示す値。ここでは満載排水量といって、燃料、弾薬、食料、人員などをすべて満載した状態での排水量。
表の出典:連合艦隊の最期 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 10)別冊歴史REAL大日本帝国海軍連合艦隊全史 (洋泉社MOOK 別冊歴史REAL)

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