世界最大・最強を謳われた戦艦「大和」は、日本海軍がアメリカ艦隊に対抗するための最終兵器として開発した戦艦でした。
攻撃力のみならず、各所に当時の最先端の技術が盛り込まれていました。しかし、既に時代は戦艦を中心とした海戦を必要としなくなっていました。
日本の期待を一心に背負って生まれた大和は、なすすべもなく悲劇の象徴となっていくことになります。
沖縄戦では、日本軍は10代半ばの少年たち約1000人からなる少年ゲリラ部隊も組織しました。当時から存在が隠されていたこの組織は、故郷を護(まも)る隊という意味で「護郷隊(ごきょうたい)」と名付けられます。
1945(昭和20)年3月末、ついに琉球列島にアメリカ軍が侵攻を開始し、日本軍は航空機による大規模特攻作戦で抵抗しました。
わずかに残された連合艦隊の艦艇も、特攻出撃の命が下されました。日本海軍の象徴であった戦艦大和は、「一億総特攻」の先駆けとして、万が一にも生還を期すことのできない作戦へ出発しました。