戦艦大和―日本海軍の栄光と悲劇の象徴―

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期待・栄光・悲劇―すべてを背負った「浮沈艦」大和

大和は日中戦争がはじまった年の1937(昭和12)年11月に建造が始まり、完成したのは太平洋戦争が開戦した直後の1941(昭和16)年12月16日でした。

この間、連合艦隊の山本五十六司令長官は空母と航空機を主体にした攻撃法の開発を推し進め、41年12月8日の真珠湾奇襲攻撃、12月10日のマレー沖海戦で、これからは航空機が戦闘の主体であることを世界に向けて強烈に印象付けました。

奇しくも、大和を生んだ日本海軍の手で、巨大戦艦大和の出る幕はないということを暗示されていたのかもしれません。

 

大和ホテル

大和の開発はアメリカ・イギリスに対する秘密兵器として厳密に秘密にされ、国民にもその存在は隠されてきました。

また、海軍部内でも艦隊決戦(日本・アメリカ双方の艦隊が撃ち合い、勝敗を決すること)の最終兵器として温存され、前半の数少ない戦艦が活躍する場面でも大和が投入されることはありませんでした。

大和は瀬戸内海や西太平洋トラック諸島の連合艦隊停泊地に長い間とどまったままでした。

大和には当時の軍艦としては珍しく空調が整えられ、食事も他艦と比べると贅沢であったりと、他の軍艦よりもかなり良い居住環境でした。

そのような大和が3000名の乗組員と共にずっと戦闘に出ないため、前線の部隊からは「大和ホテル」と皮肉を込められて呼ばれていました。

活躍の場のなかった大和

日本軍空母4隻が撃沈されたミッドウェー海戦では、大和は空母部隊のはるか500㎞後方におり、戦闘とは無縁の場にいました。機動部隊が壊滅したマリアナ沖海戦に出撃したものの、砲戦はありませんでした。

大和がその自慢の主砲を初めて敵艦に向かって撃ったのは、敗戦の色が濃くなった1944(昭和19)年10月25日の「レイテ沖海戦(サマール沖海戦)」です。

この時、大和を中心とする日本艦隊(栗田艦隊)は、アメリカ軍の護衛空母部隊(商船を改造した小型空母で構成され、機動部隊や輸送部隊に対して補助的な役割を果たす)に対して砲戦を挑み、護衛空母1隻、駆逐艦2隻を撃沈しました。

 

 💡  レイテ沖海戦の詳細は ➡  「戦艦武蔵沈没す―レイテ沖海戦(1944.10.23-25)

 

自殺的な「水上特攻」により鹿児島沖で撃沈

レイテ沖海戦で目的を果たせぬまま連合艦隊の残存艦は日本本土に戻りました。その後も戦況は悪化の一途をたどり、1945(昭和20)年3月末、ついに沖縄諸島へ連合国軍が上陸を始めました。

レイテ沖海戦で空母はほぼ壊滅し、残った航空機の多くは九州や台湾などの基地からの特攻攻撃につぎ込まれる状況で、上空の防衛は期待できませんでした。

また、期待していた南方からの燃料も、アメリカ軍の潜水艦や航空機の攻撃によりわずかしか届かなくなり、軍艦を動かす重油(じゅうゆ)もままならない状態に陥りました。

もはや、世界最大の戦艦「大和」を効果的に運用する余地はもうどこにもないことは明らかでした。

軍部は、国民全員で天皇陛下を中心とした国を守るため、使えるものは何でも特攻攻撃に投入する「一億総特攻」の方針を強めていました。

瀬戸内海の砲台と化した大和にもその順番が回ってきました。1945年4月7日、大和は沖縄本島に向け「水上特攻」として突撃をしている最中、魚雷約10本、8発の爆弾を受け、海に沈んでいきました。

 💡  戦艦大和の水上特攻についてはこちら ➡  沖縄戦―海の戦い:戦艦大和の特攻作戦

日本が明治維新を経て、西洋に負けない海洋国家として国づくりを目指して77年後、大和は勝ち目のない戦いに沈みました。「大日本帝国」繁栄の希望の結晶として生まれた戦艦大和は、今も沖縄の北、水深350mの海底に眠っています。

特攻艦隊戦没将士の慰霊塔
特攻艦隊戦没将士の慰霊塔(鹿児島県・徳之島 犬田布(いぬたぶ)岬) Snap55 at Japanese Wikipedia [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) or CC BY 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], via Wikimedia Commons

  

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本項は、武器・兵器でわかる太平洋戦争 (NICHIBUN BUNKO)連合艦隊の最期 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 10)別冊歴史REAL大日本帝国海軍連合艦隊全史 (洋泉社MOOK 別冊歴史REAL)を元に構成しました。

photo: 出典の記載がないものはWikipedia, public domain
アイキャッチ画像:試運転中の戦艦大和

 

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