沖縄戦にいたるまでの経緯

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1945(昭和20)年3月から6月にかけての沖縄戦にいたるまでにはどのような経緯があったのでしょうか。アメリカ軍と日本軍それぞれの動きをたどっていきます。

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<アメリカ軍の侵攻>

1944(昭和19)年7月にサイパン島が陥落。これにより日本本土を直接空襲する足がかりをアメリカ軍は得ました。しかし、その後どのように日本を攻めていくか、アメリカ政府内部では大きく意見が対立していたのです。

マッカーサーを頂点とする陸軍はフィリピンを、キング提督を頂点とする海軍は台湾を次の攻撃目標にすべきと主張していました。アメリカ陸軍は日本本土上陸の重要性を主張し、そのステップとしてアメリカが戦前から植民地として大きな権益を持っていたフィリピンを確保することを主張しました。海軍は日本本土上陸をそれほど重要視せず、むしろ南方からの資源輸送路(シーレーン)を遮断しつつ、より本土に近い場所から激しい空襲を浴びせることで、日本は降伏すると考えていました。台湾はシーレーン上に存在する格好の島であり、さらに日本軍との戦いで苦戦する中国を支援する上でも適した位置にありました。

一方、1944年4月から始まった日本軍による「大陸打通作戦」は概ね順調に運び、中国軍は南北に海岸側と内陸部で分断されることになります。中国軍の想像以上の弱さに驚いたアメリカ大統領ルーズベルトは、中国への期待度を大幅に下げました。このことで台湾を経由して中国を支援する必要性が下がりました。また九州とほぼ同じ大きさで、侵攻に多大な犠牲が予想される台湾よりも、沖縄を攻撃し奪取する方が容易である上に、シーレーンの遮断、日本本土により近い距離に拠点を築けるということから、台湾ではなく沖縄を攻撃目標とすることが決まりました。

フィリピンは"I Shall return."(私は必ず戻ってくる)という言葉をマッカーサーが残してきたことにも表れているように、アメリカにとっては政治的に重要度の高い場所でした。そのため、マリアナ以降はまずフィリピンを攻略し、その後沖縄へと攻撃することが決まりました。

1944年~1945年初頭のアメリカ軍の進路
1944の米軍進路
©太平洋戦争とは何だったのか

※ニミッツはアメリカ海軍太平洋艦隊司令長官。アメリカ軍は海軍と陸軍の作戦に関する対立から、別ルートで進んでいた。

 

次は ➡ 日本軍の準備



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