【概要】沖縄戦

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太平洋戦争末期、沖縄では日本軍とアメリカ軍(正確にはイギリス・オーストラリア・オランダなども含む連合軍)が陸・海・空で死闘を繰り広げました。

民間人を含め約20万人もの犠牲者を出した壮絶な消耗戦は一体どのようなものだったのでしょうか。ここではその全体像を簡潔に解説します。

 💡 沖縄戦に至る経緯はこちらをご覧ください ➡ 沖縄戦にいたるまでの経緯

陸の戦い

1945(昭和20)年3月、アメリカ軍は1300隻の大船団、後方補給部隊まで合わせると54万人で沖縄に押し寄せました。

3月26日、沖縄本島の西に浮かぶ慶良間(けらま)列島に上陸。想像よりも早く攻撃を受けた日本軍は有効な反撃ができず、アメリカ軍は各島を即座に制圧しました。

そして4月1日、アメリカ軍は沖縄本島西部の読谷村(よみたんそん)付近の海岸に大挙上陸をしました。

沖縄に上陸するアメリカ軍
沖縄に上陸するアメリカ軍

 

日本軍は兵力不足だったため、海岸線や本当北部の守備にはあまり力を入れず、県庁所在地である那覇を中心とする、南部に防衛の力点を置いていました。

アメリカ軍は上陸後即座に主力を南下させました。日本軍は中南部の丘陵地帯に堅固(けんご)な防衛線を築いており、南下するアメリカ軍に対して頑強に抵抗し、激しい戦闘が起こりました。

約2か月にわたる激闘の末、5月29日日本軍司令部のあった首里(しゅり)が陥落します。

首里陥落に先立ち、日本軍は南下を始め、それをアメリカ軍が追撃する形になりました。

そして6月22日、沖縄本島南端近くの「摩文仁」(まぶに)で牛島(うしじま)司令官と長(ちょう)参謀長が自決。翌23日、沖縄における日本軍の組織的な抵抗は終わりました。

しかし、その後も各地に潜んだ日本兵(少年兵も含む)は抵抗を続けました。

 💡 詳細はこちらをご覧ください ➡ 沖縄戦―陸の戦い

 

関連ページ

 

白旗を掲げる沖縄の少女
白旗を掲げる沖縄の少女

 

空の戦い

日本海軍は、1944(昭和19)年6月のマリアナ沖海戦で空母機動部隊を壊滅させられていました。

また、同年10月のレイテ沖海戦では、空母部隊を囮(おとり)にした一大作戦(レイテ沖海戦)を敢行し、残る空母の大部分を撃沈されていました。

そのため、沖縄へアメリカ軍が接近する頃には、1941(昭和16)年12月8日の真珠湾奇襲攻撃以来、海戦の主役であり続けた空母部隊は日本海軍にはなく、地上の航空基地から航空機を飛ばす以外に航空機で戦う方法はありませんでした。

レイテ沖海戦の詳細はこちら ➡ 戦艦武蔵沈没す―レイテ沖海戦(1944.10.23-25)

 

また、開戦以来多くの優秀な航空機搭乗員を失い、この頃にはほとんどの搭乗員の技量が低く、まともに戦って敵機や敵艦船へ有効な打撃を与える見込みはどんどん失われていきました。

そのため、レイテ沖海戦と同じタイミングで、初めて航空機による体当たり攻撃である「特別攻撃(特攻)」が採用されました。以降、日本軍の特攻への比重は次第に増していきます。

アメリカ軍が沖縄方面での上陸作戦を開始した1945年3月下旬より、日本軍は主に九州の基地から航空機による反撃を行います。

まず、3月中旬、4日間でのべ1,000機を超えるアメリカ軍機と、600機を超える日本軍機が戦闘を繰り広げました。

また、アメリカ軍の沖縄への本格的上陸が始まって以降、日本海軍は「菊水(きくすい)作戦」を、陸軍は「航空総攻撃」を開始します。

両作戦とも主に九州の複数の航空基地から飛び立った航空機による特攻攻撃で、6月22日の作戦終了までに海軍、陸軍それぞれ11回にわたり、合わせて約1,800機が特攻に出撃。約2,600名が戦死しました。

この作戦でアメリカ軍の駆逐艦、給油艦、揚陸艦など、合計で数十隻を撃沈し、空母や戦艦などの主力艦にも少なくない損傷を与えました。

特攻攻撃を受けたアメリカ軍空母「バンカーヒル」
特攻攻撃を受けたアメリカ軍空母「バンカーヒル」

 

しかし、アメリカ軍の戦力は失った戦力よりもはるかに強大であり、この程度の被害では作戦に影響を及ぼしませんでした。

一方の日本軍の航空戦力は、航空機、搭乗員、燃料の全ての補充が間に合わず、いよいよ乏しい戦力で戦わざるを得ない状況を迎えます。

💡 詳細はこちら ➡ 空の戦い

 

 

海の戦い

日本海軍はレイテ沖海戦で、戦艦武蔵をはじめとして、残された主力艦船の多くを失いました。

また、わずかに残った艦船部隊も、護衛の航空機が期待できないうえに燃料不足のため、満足に行動できる状況ではありませんでした。

今後、艦艇を残していてもさらに作戦の可能性が減り、海に浮かぶ砲台としての意味しかなくなると考えた軍首脳部は、これから呼びかけるであろう「一億総特攻」のさきがけとして、戦艦大和を中心とする残存艦船部隊の沖縄本島への特攻作戦を行うことにしました。

これは上述した「菊水作戦」、「航空総特攻」の開始日と合わせて空と海の両方から攻撃をする予定でしたが、双方の連携はうまくいかず、大和等の沖縄特攻部隊はほぼ単独での攻撃となりました。

そして4月6日、鹿児島県の南方沖で敵機動部隊の攻撃を受けた大和は、多くの魚雷と爆弾を受け、大爆発を起こし沈んでいきました。

💡 詳細はこちら ➡ 海の戦い:戦艦大和の特攻作戦

 

大爆発を起こし沈没する戦艦大和
大爆発を起こし沈没する戦艦大和

 

沖縄戦関連の年表

年月

沖縄以外の
状況・沖縄の
準備状況

空・海の戦い

陸の戦い

1944       
6月 ◆マリアナ沖海戦(19日)日本海軍機動部隊壊滅    
7月 ◆サイパン島陥落(7日)B29による本土空襲が可能に    
 10月

 ◆台湾沖航空戦(12日-16日)日本軍航空戦力に大打撃
◆アメリカ軍レイテ島上陸(20日)
◆レイテ沖海戦(23日-25日)日本連合艦隊事実上の消滅

○アメリカ軍琉球列島全域を空襲(10日)   
1945      
3月 ◆硫黄島陥落(26日)

○アメリカ軍の慶良間諸島・沖縄本島艦砲射撃・空爆
●日本軍航空攻撃

○慶良間諸島にアメリカ軍上陸(26日)

4月  

●菊水作戦(海軍)・航空総攻撃(陸軍)(6日~)
●戦艦大和の沖縄突入・撃沈(7日)

○沖縄本島にアメリカ軍上陸(1日)
○アメリカ軍は沖縄本島最北端の辺戸岬に到達(13日)
○伊江島にアメリカ軍上陸(16日)

5月  ◇ドイツ降伏 ●義烈空挺隊の北・中飛行場突入 ○首里陥落
6月   ●菊水作戦・航空総攻撃終了(22日) ●牛島満中将自決、日本軍の組織的抵抗終了(23日)
7月 ◆ポツダム宣言    
8月 ◆日本無条件降伏  

 

photo: wikimedia, public domain




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