陸軍中野学校は、1938(昭和13)年に日本陸軍によって設立された、スパイや謀略の専門家を養成する学校であり、同時に情報機関でもあった。「防諜研究所」という名称で設立されたが、1940年に現在のJR中野駅付近に移設されたことから、「陸軍中野学校」という名称になった。軍の内部では「東部第33部隊」と呼ばれ、表向きは「陸軍通信研究所」という看板が掲げられていた。
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ソ連の満州侵攻(下)―絶望の満州から地獄のシベリア抑留へ
前項「ソ連の満州侵攻(上)―参戦準備と戦闘開始まで」では、ソ連が1945(昭和20)年8月9日にソ連・満州国境(ソ満国境)を越えて進行して来るまでを解説しました。
ここでは、引き続きソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)から、ソ連侵攻下の開拓民が置かれた悲惨な状況と、シベリア抑留がどのようにして実行されたのか、詳しく見ていきます。
沖縄戦―少年ゲリラ部隊「護郷隊」
沖縄戦では、日本軍は10代半ばの少年たち約1000人からなる少年ゲリラ部隊も組織しました。当時から存在が隠されていたこの組織は、故郷を護(まも)る隊という意味で「護郷隊(ごきょうたい)」と名付けられます。