陸軍中野学校(りくぐんなかのがっこう)

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陸軍中野学校は、1938(昭和13)年に日本陸軍によって設立された、スパイや謀略の専門家を養成する学校であり、同時に情報機関でもあった。「防諜研究所」という名称で設立されたが、1940年に現在のJR中野駅付近に移設されたことから、「陸軍中野学校」という名称になった。軍の内部では「東部第33部隊」と呼ばれ、表向きは「陸軍通信研究所」という看板が掲げられていた。

参謀本部直轄であり、存在そのものが極秘とされていた。廃止までの7年間に、将校から下士官まで約2500名を輩出。太平洋戦争の当初から卒業生たちをアジア・太平洋地各地に派遣し、正体を隠しながら情報収集や破壊工作、謀略に従事。現地の住民に溶け込み、人脈を形成し、連合軍に対する独立運動の支援も行っていた。

1943(昭和18)年、ニューギニアにおける戦いでは、台湾から先住民の「高砂族」(たかさごぞく)の人々を連れていき、山岳地帯やジャングルの地形を利用しながら、連合軍へ夜襲・奇襲を繰り返すゲリラ戦を展開。その後インドネシアやフィリピンでも同様のゲリラ戦を展開した。

それらの海外での経験を活かし、ゲリラ戦マニュアルを作成(「遊撃隊戦闘教令(案)」「国内遊撃戦ノ参考」)。戦況が悪化すると、沖縄をはじめとする本土の各地に工作員を派遣し、老若男女を問わず各地での抵抗活動を組織し、「一億玉砕」に向けた準備の一端を担った。

沖縄では「護郷隊」(ごきょうたい)として、実際に14歳からの少年をゲリラ兵として訓練し、アメリカ軍との激しい戦闘や破壊活動に従事させた。連合軍が本土上陸をする前に終戦になったため、本土では護郷隊のような実戦は行われなかった。
 💡 護郷隊の詳細は ➡ 沖縄戦―少年ゲリラ部隊「護郷隊」

出典:僕は少年ゲリラ兵だった:陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊(NHKスペシャル取材班著)

 

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