永久抗戦せよ-フィリピン防衛戦

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ルソン島へ

1945(昭和20)年1月9日、アメリカ軍はついに「リンガエン湾」よりルソン島に上陸しました。

日本軍はレイテ島に多くの部隊を送り込んでおり、最初から持久戦に徹して長く抵抗を続けようとしました。そのため、アメリカ軍は上陸初日に約19万人が一挙に上陸できました。

リンガエン湾に上陸するアメリカ軍
リンガエン湾に上陸するアメリカ軍

 

ルソン島は北海道と四国を合わせたよりも少し広い、大きな島です。そのため、日本軍は三つの部隊に分け、島の防衛にあたりました。

  • 【尚武(しょうぶ)集団】山下奉文大将直率。約15万2000人(飛行部隊の整備・補給担当など約7万人を含む)。リンガエン湾からルソン島北部を担当。
  • 【振武(しんぶ)集団】横山静雄中将指揮。約10万5000人。ルソン島中南部を担当。
  • 【建設(けんぶ)武集団】塚田理喜智中将指揮。約3万人。マニラ西部クラーク飛行場群の西方を担当。

尚武集団には約200両の戦車、75ミリ大砲32門、自動車約1000両、人員8,000人を備えた戦車部隊(戦車第二師団)がありました。

この戦車部隊はアメリカ軍がリンガエン湾に上陸してきた際、アメリカ軍の戦車部隊を迎え撃ちました。しかし、日本軍の戦車はアメリカ軍の戦車に比べ砲の威力が弱く、またアメリカ軍戦車は装甲が分厚かったので、砲弾が命中しても貫通せず、跳ね返ってしまいます。

一方で、アメリカ軍の戦車の砲弾は日本軍の戦車を次々に仕留め、自慢の戦車部隊は早い段階で戦車180両、大砲24門、自動車約300両、人員約2,000人以上を失ってしまいました。

多数の市民を巻き添えにしたマニラ市街戦

山下大将はマニラから日本軍が撤収するよう命じましたが、海軍の部隊(第三十一特別根拠地隊)は命令に従いませんでした。

この部隊と、召集されたマニラ在住の日本人が中心となった陸軍部隊とを合わせ、約2万人がマニラに立てこもりました。

アメリカ軍が進入する以前から、日本軍はアメリカ軍への協力者という理由で多くのマニラ市民を虐殺しました。

フィリピンには日本軍占領当初からアメリカ軍が育てた現地人ゲリラが多数いたため、一般市民との見分けが困難であったことから、容疑がかかると即座に殺害するケースが頻繁に見られました。

日本軍はビルに立てこもり、そこにアメリカ軍は砲撃を集中したため、マニラ市街はがれきの山となり、「東洋の真珠」と謳われた美しい街並みは完全に破壊されてしまいました。

そして日本軍は全滅しました。約20日間続いたマニラ市街戦に巻き込まれた市民の犠牲者は約10万人といわれます。

日米の交戦によって廃墟と化したマニラ市街
廃墟と化したマニラ市街

 

峠道の死闘

日本軍主力である尚武集団はルソン島北部にいたので、アメリカ軍はこれを追いました。

日本軍司令部のあった「バギオ」へ向かう「サラクサク峠」と、ルソン島を北へ抜ける「カガヤン河谷(かこく)」の入り口にある「バレテ峠」で両軍が激しく激突。

サラクサク峠の戦いは、1945年3月初旬から、5月26日までの約3か月間続きました。

日本軍は約5000人の戦死者を出して敗退しました。バレテ峠では2月中旬から5月末まで戦闘が行われ、日本軍は約7000人の戦死者を出して撤退しました。

バレテ峠をほふく前進するアメリカ軍歩兵
バレテ峠をほふく前進するアメリカ軍歩兵

 

重要な拠点を突破された後、日本軍は各地でゲリラ化して戦闘を続けました。

アメリカ軍はバレテ峠を落としてから約1か月後の6月28日、ルソン島作戦終了の宣言を出します。この頃には沖縄の組織的戦闘も終了していました。

ルソン島北方の日本軍要地

青=リンガエン湾(アメリカ軍上陸地点)
紫=バギオ(日本軍司令部)
オレンジ=サラクサク峠(おおまかな場所)
茶=バレテ峠(おおまかな場所)
ピンク=カガヤン河谷(かこく)
緑=マニラ(首都)

アメリカ軍の20倍以上の死者を出した末の敗北

日本の降伏・終戦までの約二か月、山中に残った日本兵は餓死したりフィリピン人ゲリラに捕まって殺害されたりと、多くが命を落としました。

ルソン島の日本軍戦死者は約21万8200人。対するアメリカ軍の損害は、戦死7933人、戦傷3万2732人でした。

フィリピン防衛戦全体では、その後の各島の掃討戦の戦死者も含めると日本軍は49万8600名の犠牲者を出しました。

一方で、太平洋戦争を通じて、フィリピン人の犠牲者はゲリラ部隊を含め約100万人とされています。

フィリピンにおける日本とアメリカの戦いで、最も多くの犠牲を出したのは現地の人々でした。

 

フィリピン陥落によって日本はシーレーンを絶たれた

フィリピンを奪回したアメリカは、フィリピンの飛行場を整備し、日本の資源輸送路(シーレーン)を空からも断ち切るべく行動を開始しました。

元々アメリカ軍の潜水艦の活動によって大打撃を受けていた日本の輸送船団は、空からも猛烈な攻撃にさらされることとなり、南方資源地帯からの資源輸送は絶望的となりました。

したがって、フィリピン陥落によって日本が長期的に戦争を継続できる見込みはほぼ無くなったと言えます。

フィリピンの北には台湾が、そしてその北には沖縄が連なります。連合軍は日本本土上陸へ王手をかけたのでした。

 

本項は、「図説 太平洋戦争・16の大決戦 (ふくろうの本)」「レイテ沖海戦 (歴史群像 太平洋戦史シリーズ Vol. 9)」を元に構成しました。

photo: wikimedia, public domain
トップ画像:レイテ島に上陸するマッカーサー元帥

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