タグ・アーカイブ: シベリア抑留

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前項「ソ連の満州侵攻(上)―参戦準備と戦闘開始まで」では、ソ連が1945(昭和20)年8月9日にソ連・満州国境(ソ満国境)を越えて進行して来るまでを解説しました。ここでは、引き続きソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)から、ソ連侵攻下の開拓民が置かれた悲惨な状況と、シベリア抑留がどのようにして実行されたのか、詳しく見ていきます。

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1945(昭和20)年8月9日深夜零時頃、当時日本の傀儡(かいらい)国家(※)であった「満州国」に対し、ソ連(ソビエト連邦)が突如侵攻を開始しました。多くの民間人の犠牲者を出し、戦後50万人以上の人がシベリアで過酷な労働を強いられ、さらには北方領土問題の起源となるソ連の満州侵攻。ここでは、「ソ連が満洲に侵攻した夏 (文春文庫)を元に、ソ連の対日参戦(日本と戦争すること)の準備から攻撃開始までを見ていきます。
※傀儡国家…形式的には独立しているが、実質的には他国によって操られている国家(goo辞書より)

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1945(昭和20)年6月23日に沖縄での日本軍の組織的抵抗が集結した後、事態は戦争終結へと急速に動きます。

 

ポツダム宣言

7月、ドイツ・ベルリン郊外のポツダムという場所で、アメリカのトルーマン大統領、イギリスのチャーチル首相(途中からアトリー首相)、ソ連のスターリン人民委員会議長による会談が行われ、ドイツの戦後処理および日本の降伏条件などが話し合われました。その結果、アメリカ、イギリス、中華民国の連盟で日本に無条件降伏を迫る「ポツダム宣言」を26日に発表します。日本政府はポツダム宣言を黙殺すると発表。「黙殺」という言葉はアメリカの通信社によって「拒否」と連合国に伝えられます。

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