ポツダム宣言―連合国の降伏勧告

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沖縄戦終結後、いよいよ追い詰められた日本に突き付けられた降伏勧告「ポツダム宣言」。

これは戦争を終わらせる連合国の意思を示しただけではなく、この宣言に沿って戦後の連合国の占領統治は行われたので、戦後の日本のあり方を決めていくという意味でも大変重要なものでした。

ここでは、ポツダム宣言がどのような流れで出され、日本はどのように反応したのかを見ていきます。

ポツダム宣言にいたるまで

カイロ宣言

アメリカ、イギリス、中国(中華民国)の首脳の名前で1943(昭和18)年11月27日に「カイロ宣言」を発表。カイロ宣言では主に以下の内容が発表され、以後の連合国の基本的な対日本の指針となりました。

 

カイロ宣言の主な内容

  • 日本が1914(大正3)年(第一次世界大戦)以降に太平洋で奪取した領土のすべてを日本からはく奪する
  • 満州、台湾、澎湖島など日本が中国人から盗んだ土地を中華民国に返す
  • 朝鮮を自由で独立したものにする
  • 連合国は日本の無条件降伏を確保するための長期的作戦を続行する

 

ヤルタ会談

1945(昭和20)年2月にアメリカ、イギリス、ソ連の首脳がソ連・クリミアのヤルタで会談し、ドイツの戦後処理を決定します。

同時に、ドイツ降伏後90日以内にソ連が日本に対して参戦することを約束した協定を結びます。この対日参戦協定は秘密で行われたものであり、日本には伝えられませんでした。

日本は孤立無援の状態となっていましたが、そうとは知らず、1945年6月22日、ソ連を仲介とした和平工作をすることを決定。

※和平工作…和平の働きかけ

しかし、ソ連には日本と和平を結ぶ気はなく、回答を先延ばしされ、時間稼ぎをされることとなります。

ポツダム宣言

1945年7月17日から8月1日にかけて、ドイツ・ベルリン郊外のポツダムでアメリカ、イギリス、ソ連の首脳が会談を開き、第二次世界大戦の処理と日本の降伏条件などを決定しました。

この会談中の7月26日にアメリカ、イギリス、中国の3か国首脳は「ポツダム宣言」を発表。日本へ無条件降伏を突き付けます。

ポツダム会談はアメリカ、イギリス、ソ連の3か国が参加しましたが、この時ソ連は日ソ中立条約の効力が切れていなかったので、ポツダム宣言には参加しませんでした。

一方で、それまで中国は日本と交戦しており、またポツダム宣言では中国が署名したカイロ宣言は履行(りこう)されると書いてあるため、中国代表蒋介石の署名が入っています。

ただし、ポツダム会談に蒋介石は出席していませんでした。そのため、トルーマンアメリカ大統領が蒋介石に電話をし、性急にポツダム宣言への承諾を求めたうえで、トルーマンが蒋介石の署名を代筆する形でポツダム宣言は発表されました。

ソ連は8月8日の日本への宣戦布告後、ポツダム宣言に参加しました。

連合国の日本統治はポツダム宣言の内容に沿って進められ、戦後日本のあり方を決める基本的な方針となります。

 

終戦にいたる主な流れ

年・月 項目 参加国 主な内容
1943/11 カイロ宣言 アメリカ
イギリス
ソ連
日本から植民地領土を取り上げる
1945/2 ヤルタ秘密協定 アメリカ
イギリス
ソ連
ドイツ降伏後のソ連対日参戦
1945/6 対ソ和平工作 日本 ソ連を仲介として連合国と和平締結を働きかける
1945/7 ポツダム宣言 アメリカ
イギリス
中国(のちソ連)
日本への降伏勧告とその条件提示

 

ポツダム宣言の主な内容

  • 連合国はドイツ(ナチス)へ適用した力よりさらに強大な軍事力をもって日本を攻めるため集結している。この進撃は日本が抵抗を止めるまで続く。この軍事力の使用によって日本軍は完全に壊滅し、日本国土を完全に破壊するだろう。
  • 日本がこのまま無分別に戦争を遂行するか、止めるかの判断の時である。
  • 日本の軍国主義指導者を取り除き、日本の戦争遂行能力が粉砕されるまで、日本は連合国により占領される。
  • カイロ宣言は履行される。
  • 日本の主権は本州、北海道、九州、四国および連合国の指定する諸島に狭められる。
  • 日本軍は完全に武装解除されたのち、各家庭に戻ることができる。
  • 連合国は日本人を奴隷化したり、滅亡させたりする意思はないが、戦争犯罪人に対しては厳重な処罰を加える。
  • 民主主義を尊重し、言論、宗教、思想の自由、基本的人権の尊重は確立されなければならない。
  • 日本は連合国による実物賠償の取り立てを可能にする産業を維持することを許される。そのための原料の入手は許されるが、資源の支配は許されない。
  • 日本の再軍備につながるような産業は許されない。
  • 日本政府が直ちに無条件降伏を行わなければ、日本国は速やかにかつ完全に壊滅する。

日本の対応

ポツダム宣言を受け、日本政府内で対応が協議されました。軍部を中心として、宣言を無視し、本土決戦の準備を着々と進めるべきであるという声が強く、鈴木貫太郎首相は記者会見で「黙殺」(もくさつ)すべしと述べました

※黙殺…無視して取り合わないこと。(出典:デジタル大辞泉
※「ポツダム宣言に関する鈴木首相談話」(1945年7月30日付朝日新聞)に掲載された内容(該当部分)…「私は三国共同声明はカイロ会談の焼き直しと思う。政府としては何ら重大な価値あるものとは思わない。ただ黙殺するのみである」

 

この「黙殺」という言葉は日本の政府系英語メディア(同盟通信)により「完全に無視」 (ignore it entirely) と訳され、それがAP通信(アメリカ)とロイター通信(イギリス)は「reject(拒否)」として報道されました。

前述したようにソ連参戦は2月のヤルタ秘密協定の段階で決められていたことでした。

また、アメリカは日本がポツダム宣言を黙殺したために原爆投下を決定したという明確な証拠はありません。

それらは日本を降伏させるためというよりも、降伏後のソ連とアメリカの利益追求のために行われたという側面が強いと考えられますが、ポツダム宣言という降伏勧告を無視したことによって、それらの行動の理由を与えたと言えます。

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本項はオールカラーでわかりやすい!太平洋戦争「ポツダム宣言」を読んだことがありますか?黙殺―ポツダム宣言の真実と日本の運命〈上〉 (NHKブックス)を元に構成しました。

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