世界史上初の、そして最後の原子爆弾が投下された日本の広島と長崎。原爆とはどのようなものだったのか。この項は開発の歴史から投下に至るまでの概要です。
イギリス・アメリカの原爆開発
1938(昭和13)年、ドイツで核分裂現象が発見されます。この技術を応用して各国で新型爆弾の開発が始まりました。
アメリカでは1939年にドイツから亡命した、アインシュタインをはじめとするユダヤ系科学者たちが、ルーズベルト大統領に新型爆弾を開発に着手することを提案し、開発が始まります。
1940年、イギリス政府は新型爆弾の検討をする「モード委員会」を設立。同年アメリカでも原爆の原料となるプルトニウムの製造実験が開始されます。
太平洋戦争開戦の年の1941年7月、アメリカはモード委員会の報告を受け、新型爆弾は既存の爆弾の数千倍の威力があると判断。1942年6月、陸軍直轄のもとで20億ドル(約7300億円)を投じ、原爆開発計画「マンハッタン計画」を始動させます。
アメリカは当初はドイツへの使用を想定していた原爆開発を進めていました。しかし、1945(昭和20)年5月にドイツは降伏。原爆使用の目標を日本へ切り替えます。
日本でも行っていた原爆開発
日本でもアメリカの原子爆弾開発は知られていました。1943年1月、理化学研究所と陸軍航空技術研究所が中心となり、「二号研究」という暗号名の原子爆弾開発に着手します。しかし「ウラン濃縮実験」というプロセスがうまくいかず頓挫しました。
1944年には海軍でも京都大学に依頼し原爆研究がスタートしましたが、開発は間に合わず、設計段階で終戦を迎えました。
ついに原爆開発に成功したアメリカ
アメリカは3発の原子爆弾を完成させ、1945年7月16日、そのうちの一つを使った世界初の原爆実験に成功します。ドイツのポツダムでイギリス、ソ連首脳と会談中だったアメリカ大統領トルーマンにこの報告はすぐに伝えられ、残る2発の日本への使用を決定します。
原爆投下地点は、当初小倉、広島、新潟、京都の4都市が選ばれました。しかし日本に滞在した経験のあるスチムソン陸軍長官が、京都は日本の古都であり、日本人にとって宗教的価値が高いことから、京都を目標にすることに強硬に反対しました。
その結果、京都の代わりに長崎が候補となりました。各目標都市が選ばれた理由は以下のとおりです。
順位 | 都市名 | 主な理由 |
1 |
広島市 | 日本軍の輸送船団の中心基地がある。連合国軍の捕虜収容所がない。 |
2 | 小倉市(現福岡県北九州市) | 日本最大の弾薬工場がある。 |
3 | 新潟市 | アルミ工場やタンカー(油槽船)の終着港がある。 |
3 | 長崎市 | 各種工場が多く集まっている。地形が原爆の効果測定にふさわしい。 |
歴史に刻まれた「その時」―原子爆弾の投下
1945年8月6日の未明、サイパンの南に位置するテニアン島から、「B-29」※3機が飛び立ちました。
※B-29…アメリカ陸軍の大型爆撃機(ボーイング社製)。日本軍機が安定的に飛行することができず、高射砲(こうしゃほう=上空を飛ぶ航空機を打ち落とすための大砲)も届かない高度約1万mを飛行し、大量の爆弾を積んで6600㎞飛行することができた。
💡 B-29の詳細はこちら ➡ 日本を襲う銀色の怪鳥-B-29とはどのような飛行機か
テニアン島から広島市へ(時間は現代の民間旅客機で飛んだ場合)
そのうちの1機「エノラ・ゲイ」号にはウラン型原爆「リトル・ボーイ」が搭載されており、広島市上空で投下。地上から500mの高さで原爆はさく裂し、ピカッという閃光(せんこう=強い光)の後、爆風と熱線、それに続く火災が人々と街を焼き尽くしました。その後放射能を含んだ雨が広範囲に降り、さらに放射能による被害を広げました。この雨は原爆で舞い上げられたチリを吸収して黒くなっていたため「黒い雨」と呼ばれています。
💡 広島原爆投下直後の様子については ➡ 原爆の被害―きのこ雲の下で何が起きていたのか
3日後、今度は九州の小倉を狙いB29「ボックス・カー」は出撃しました。しかし小倉上空は雲が多く、標的を長崎に変更します。長崎も小倉同様に曇りでしたが、わずかな雲の切れ目からプルトニウム型原爆「ファットマン」を投下。
ファットマンは広島に落とされた「リトル・ボーイ」の約1.3倍の破壊力がありました。
💡 長崎原爆の威力については ➡ 原爆の威力―地獄はどのように生み出されたのか
原爆に見舞われた広島と長崎では、それぞれ1945年末までに広島で約14万人、長崎で約7万人が亡くなりました。
しかし、放射能による「原爆症」はその後も人々を苦しませ、現在までに広島で約30万人、長崎で約14万人が犠牲になりました。生き残った人々も、今なお多くの人が原爆症に苦しんでいます。
この項はオールカラーでわかりやすい!太平洋戦争と原子爆弾―開発から投下までの全記録を元に構成しました。
参考書籍
原爆の開発から投下まで、ふんだんな写真資料を使っている一冊。特に原爆投下後の広島と長崎の様子が手に取るように分かります。解説も分かりやすく、太平洋戦争における原爆の概要を知るのに最適な一冊です。
photo: wikimedia, public domain