海軍兵の基礎
海軍兵のなり方:「徴兵」と「志願兵」
日本人男性は満20歳(1943(昭和18)年から満19歳)になると徴兵検査を受ける義務がありました。
検査の結果、兵役(へいえき)に適している者はただちに現役として入隊しましたが、新兵として採用されなかった者も、補充兵や国民兵などに分類され、40歳(1943年に45歳と改訂)までは招集されたら軍務に服す義務がありました。
徴兵検査は陸軍が行い、一定人員を海軍に回しました。
海軍の徴兵期間は3年間で、陸軍の2年より1年長くなっています。これは、海軍は艦艇を操る必要があり、技術的により高度なものを求められるため、技術習得期間が長くなっています。
海軍ではこのような徴兵に加え、志願兵の制度がありました。
17歳以上の志願者から試験で選抜しました。採用されると5年の服務期間が課せられます。
海軍では徴兵よりもより高い技術を身に付けることのできる志願兵の方が重視されました。
海兵団
海軍の新兵を教育する機関が「海兵団」(かいへいだん)でした。海兵団は「鎮守府」(ちんじゅふ)と呼ばれる海軍の地方機関に属していました。
鎮守府は横須賀(神奈川県)・呉(くれ=広島県)・佐世保(長崎県)、舞鶴(一時的に廃止になった)に設置されており、出身の道府県によって入る海兵団が決まっていました。
ただし太平洋戦争が始まると、新兵採用が急増したため、各地に新しい海兵団が設けられて最終的に16か所となりました。
海軍の新兵は海兵団で徴兵は4カ月半、志願兵は5カ月半の教育後、軍艦や陸戦隊などに配属されました。
兵種
海軍兵は、「兵種」(へいしゅ)と呼ばれる専門に分類されました。太平洋戦争が始まる頃には、以下の8種類の兵種がありました。
水兵…「兵科」と称される兵種に属する海軍兵のこと。船の中の何でも屋。操舵(舵(かじ)を操る)、大砲や魚雷の発射、機雷の敷設(ふせつ)と掃海(そうかい=水面や海中に敷設してある機雷を除去し安全にすること)、防火・防水の応急修理、出入港の際の錨(いかり)の揚げ下ろし、カッター(船に搭載される大型の手漕ぎボート)による人命救助、内火艇(ないかてい=エンジンで走る小さな船)の運航、手旗・旗(き)りゅう・探照灯による信号、無線電信や無線電話の電信、陸戦隊など。
飛行兵…操縦員、偵察員、電信員。
整備兵…飛行機の機体・機関・航空兵器の整備。陸上攻撃や飛行艇に同乗しての整備もした。
機関兵…あらゆる艦の期間を運転。缶(かま)を焚いて蒸気を起こし、タービンへ蒸気を送る。発電機・電動機の操作。補機(揚錨(ようびょう)機、舵取機械、製氷機、送風機など)の運転など。
工作兵…艦の小修理、艦内のちょっとした機器の修理・製造、潜水作業、ダメージコントロール(敵から攻撃を受けて艦が傾いたり沈んだ場合の傾斜の復元・浮力の回復など)など。
軍楽(ぐんがく)兵…艦隊の旗艦(きかん=司令官が乗船する艦)などに乗り込んでいた楽団。
主計(しゅけい)兵…艦隊の食事の用意、衣服・物品の管理、給与計算、公文書の文案作成・清書・整理など。
看護兵…傷病兵の看護、外科手術・治療などの助手、伝染病の予防、防毒、エックス線装置の取り扱い、海軍病院の看護一般など
階級
軍隊は陸海軍を問わず階級が大きな意味を持ちました。階級は大きく分けて以下のように上がっていきました。
兵 → 下士官 →士官
兵から順に階級を説明していきます。
兵
兵には4つの階級がありました。
四等兵 → 三等兵 → 二等兵 → 一等兵
呼び方は兵種と合わせ、三等機関兵、二等整備兵など。ただし兵科だけは単に四等兵などと呼びました。
1943(昭和18)年からは、以下のように呼称が変更されました。陸軍に合わせたものと思われます。
1942年まで | 1943年以降 |
海軍四等兵 | 海軍二等兵 |
海軍三等兵 | 海軍一等兵 |
海軍二等兵 | 海軍上等兵 |
海軍一等兵 | 海軍兵長 |
下士官
下士官(かしかん)以上は、「武官」(ぶかん)と呼ばれる官吏(かんり=国家公務員)でした。
海軍の下士官は以下の3階級で構成されていました。
三等下士官 → 二等下士官 → 一等下士官
下士官のことを海軍では「兵曹」(へいそう)と呼びました。兵曹の上に兵種を付けて、三等飛行兵曹、二等主計兵曹などと呼びましたが、ここでも兵科だけは単に一等兵曹などと呼びました。
下士官の呼称も1943年より以下のように変更されました。
1942年まで | 1943年以降 |
三等下士官 (三等兵曹) |
二等下士官 |
二等下士官 (二等兵曹) |
一等下士官 (一等兵曹) |
一等下士官 (一等兵曹) |
上等下士官 (上等兵曹) |
下士官の上は士官ですが、下士官と士官との間に「准士官」(じゅんしかん)という階級がありました。准士官は下士官の最上級であると同時に士官の最下級でした。
海軍の准士官は「兵曹長」(へいそうちょう)と呼ばれました。兵科の場合は「海軍兵曹長」ですが、その他の兵種では「海軍飛行兵曹長」などと呼ばれました。
准士官をさらに5年以上続けると、「特務少尉」に就くことのできる人もいました。
士官
士官は下士官を指揮する武官です。そのうち、戦闘部隊を指揮できる資格者を将校と呼びました。士官は主計中将や軍医大佐などもいましたが、彼らは「将校相当官」と呼ばれ将校とは区別されていました。
士官の階級は下から以下のようになっています。
少尉 → 中尉 → 大尉 → 少佐 → 中佐 → 大佐 → 少将 → 中将 → 大将
この階級は陸軍と同じですが、昭和期の海軍では慣例で大佐を「ダイサ」、大尉を「ダイイ」と濁って呼びました(正式には海軍も「たいさ」「たいい」が正しい)。
元帥(げんすい)は階級ではなく称号で、元帥府という天皇の最高軍事顧問団のメンバーになることです。
ただし実際の天皇への最高補佐役はあくまで海軍大臣と軍令部総長に限られていました。
本項は「日本海軍がよくわかる事典―その組織、機能から兵器、生活まで (PHP文庫)」、「武器・兵器でわかる太平洋戦争 (NICHIBUN BUNKO)」を元に構成しました。
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