当時の社会

Pocket
LINEで送る

教育は人をつくるがゆえに、教育政策は国家建設の根幹をなすものです。

明治維新から太平洋戦争にいたるまで、国の中枢を担った人々は、教育に並々ならぬ心血を注いできました。

それでは、その時代の教育とはどのようなものだったのでしょうか。軍事国家との関係性はどのように導かれたのでしょうか。

第一回目の今回は、明治維新後から、教育勅語発布までを駆け足で見ていきます。

本項は江戸時代の終わりから太平洋戦争へ至る歴史の中で、国民の意識形成に教育がどのように作用し、また国家目標達成のために教育がどのように利用されたかを考えることを目的に、「日本教育小史―近・現代 (岩波新書)」より、必要部分を抜粋しました。明治~昭和初期の教育全てを網羅するものではないことにご留意ください。

…続きを読む

Pocket
LINEで送る

Pocket
LINEで送る

中国東北部の本格的支配にのぞむ関東軍

1919(大正8)年、中国では孫文(そんぶん)によって国民党が、1921年には共産党が結成されます。

広東を中心として中国南部に支配を広げた中国国民党は、1926(昭和元)年、全国統一を目指して北上しました。

その当時、中国は内戦状態で、各地に「軍閥」と呼ばれる軍事力を持った勢力が割拠(かっきょ)し、各地方を治めていました。国民党は北方の軍閥を倒しつつ北上します(北伐(ほくばつ))。

…続きを読む

Pocket
LINEで送る

Pocket
LINEで送る

戦争が起きるには、当然ながらその理由がありますが、長い時間をかけてその理由は形作られていきます。

特に、政治や経済の状況は、国々の根本をなす条件であるために、なぜ戦争が起きたのかを知るための欠かせない要素です。

開戦にいたる、戦前の日本の政治や社会状況はどのようなものだったのでしょうか。2回に分けてお届けします。

…続きを読む

Pocket
LINEで送る