陸軍中野学校は、1938(昭和13)年に日本陸軍によって設立された、スパイや謀略の専門家を養成する学校であり、同時に情報機関でもあった。「防諜研究所」という名称で設立されたが、1940年に現在のJR中野駅付近に移設されたことから、「陸軍中野学校」という名称になった。軍の内部では「東部第33部隊」と呼ばれ、表向きは「陸軍通信研究所」という看板が掲げられていた。
用語解説
戦時教育令(原文)
戦時教育令は、敗戦の色が濃くなってきた1945(昭和20)年5月、同年3月に閣議決定されていた「決戦教育措置要綱」を実施するために布告された勅令です。学徒を、食糧増産、軍需生産、防空防衛、重要研究等、喫緊に必要とされる重要業務に就かせるとともに、戦時に必要な教育訓練を行うため、学校ごとに教職員と学徒によって学徒隊を組織することを定めました。
戊申詔書(原文)
1908年、日露戦争後の社会の動揺をしずめるため、詔勅が発せられました。戊辰(つちのえさる)の年に出されたことから戊辰(ぼしん)詔書と呼ばれるこの詔書は、国民教化において教育勅語に次いで重要な詔勅とされました。
💡 関連ページ ➡ 戦前の教育(2)軍国主義の中の教育-教育勅語以降から敗戦まで(1890‐1945)