「対華21ヶ条要求」は、1915(大正4)年、日本が中国に対し求めた要求。日本の外務省や陸海軍など、中国問題を扱っていた部署の意見を集め、要求としてまとめた。中国に要求をのませるため、海軍、陸軍の双方が軍事的な圧力をかけた。要求のほとんどを中国側は受け入れたが、中国国民はこれに反発し、要求を受け入れた5月9日を「国恥(こくち)記念日」とした。
(出典:詳説日本史B(山川出版社))
「対華21ヶ条要求」は、1915(大正4)年、日本が中国に対し求めた要求。日本の外務省や陸海軍など、中国問題を扱っていた部署の意見を集め、要求としてまとめた。中国に要求をのませるため、海軍、陸軍の双方が軍事的な圧力をかけた。要求のほとんどを中国側は受け入れたが、中国国民はこれに反発し、要求を受け入れた5月9日を「国恥(こくち)記念日」とした。
(出典:詳説日本史B(山川出版社))
「満州」(まんしゅう)とは、元々は中国東北地方に住んでいた民族の名前。元来、当て字で「女真(じょしん)族」と呼ばれていたが、漢民族を倒して清朝(1616~1912)を打ち立てると、「満州族」(「マンジュ」と発音した)と名乗るようになった。そして、清朝時代に女真族の出身地である東北地区の三省(遼寧省、吉林省、黒竜江省)のあたりを「満州」と呼ぶようになった(以下の地図の赤色の部分)。広義には内蒙古自治区の東北部も加える(下地図のピンクの部分)。
陸軍中野学校は、1938(昭和13)年に日本陸軍によって設立された、スパイや謀略の専門家を養成する学校であり、同時に情報機関でもあった。「防諜研究所」という名称で設立されたが、1940年に現在のJR中野駅付近に移設されたことから、「陸軍中野学校」という名称になった。軍の内部では「東部第33部隊」と呼ばれ、表向きは「陸軍通信研究所」という看板が掲げられていた。