【概要】日本陸軍の部隊構成と階級―「師団」を中心として

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陸軍の階級(概要)

軍隊では将兵の階級が厳しくものをいうため、軍の構造や活動をよりよく知るためには階級に対する理解は欠かせません。しかし、部隊や年代によって異なり、複雑なため、ここでは大きな考え方をつかんでいただくことを目的とします。

日本陸軍の階級の大きく分けて「兵」「下士官」「士官」の3つに分かれていました。それぞれ説明していきます。

 

陸軍の階級は「兵」から始まります。兵は、以下のように階級が設けられていました。

二等兵 → 一等兵 → 上等兵 → 兵長(1941年以降)

初年兵(新兵)は二等兵、二年兵は一等兵、三年兵は上等兵あるいは兵長が原則的な序列となっていました。

 

内務班

陸軍では「内務班」(ないむはん)という制度を取っていました。

内務とは、寝起き、食事、選択、繕(つくろ)い、整理整頓、銃器の手入れなど、「兵士が身の回りのことを処理すること」を指します。

内務班は16人部屋2室で1班とし、班長は軍曹(下士官の上から2番目の階級)がなります(階級は以下を参照してください)。

下士官の部屋は別だったので、内務班の各部屋には兵だけが居ました。

この1室全員が「分隊」を構成し、2室すなわち内務班1個で「小隊」を構成。戦時にはこれを最小の戦闘単位として戦いました。

下士官

下士官(かしかん)以上は、「武官」(ぶかん)と呼ばれる官吏(かんり=国家公務員)でした。陸軍の下士官はすべて兵から選抜し、教育しました。

下士官の階級は以下のようになります。

伍長 → 軍曹 → 曹長

曹長の上に「准尉」(じゅんい)がありました。准尉は半分は下士官、半分は士官でした(1937年までは特務曹長と呼ばれていました)。

 

士官

歩兵科、騎兵科(のち機甲科)、砲兵科、工兵科、輜重兵科、憲兵科、航空科など、「兵科」とよばれる職能区分の士官を特に「将校」(しょうこう)と呼びました。

士官でありながら将校ではない例が、軍医大尉・軍医少将などで、これらの人は「将校相当官」と呼ばれました。

将校の階級は、「尉官」(いかん)「左官」(さかん)「将官」(しょうかん)の3種に大別され、それぞれ3つずつの階級に分かれていたので、合計9種類の階級がありました。

尉官:少尉→中尉→大尉

左官:少佐→中佐→大佐

将官:少将→中将→大将

※元帥(げんすい)は階級ではなく称号で、天皇の軍事最高顧問でした。

参考として、日中戦争が始まった1937(昭和12)年の一個中隊の戦時における編制は以下のようなものでした。

  • 中隊長(大尉)…1人
  • 中隊付将校(中尉・少尉)…3人
  • 准尉…1人
  • 曹長…1人
  • 軍曹・伍長…20人
  • 上等兵…21人
  • 一等兵・二等兵…145人

合計:192人

 

以上をまとめると以下のようになります。

日本陸軍の階級(概要)1941年頃

 

階級は部隊や陸軍省・参謀本部等における役職と紐づいていました。

階級 部隊 陸軍省・参謀本部等の役職
大将   陸軍大臣・参謀総長・教育総監
中将 師団長

局長
陸軍大臣・参謀総長・教育総監

少将 旅団長
歩兵団長 等
部長・局長
大佐 連隊長 部長
中佐 戦車連隊長 等 課長
少佐 大隊長 課長
大尉 中隊長 班長
中尉 (中隊長)  
少尉 小隊長  

 


この項は「日本陸軍がよくわかる事典―その組織、機能から兵器、生活まで (PHP文庫)」を元に構成しました。

photo: wikimedia, public domain
トップ画像:大阪城公園内にある旧第四師団司令部庁舎(撮影者:Kakidai/撮影日:2018年8月)

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