着々と植民地を拡大していった戦前の日本は、日中戦争・太平洋戦争を遂行していくうえで、「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」という戦争遂行の大義名分を打ち出しました。
本項では、東アジアを解放するというスローガンのもと、建設されていく大東亜共栄圏とはどのようなものだったのか、概観します。
着々と植民地を拡大していった戦前の日本は、日中戦争・太平洋戦争を遂行していくうえで、「東亜新秩序」「大東亜共栄圏」という戦争遂行の大義名分を打ち出しました。
本項では、東アジアを解放するというスローガンのもと、建設されていく大東亜共栄圏とはどのようなものだったのか、概観します。
戦前・戦中、日本は今の国土よりもはるかに広大な領域を植民地や勢力圏として保持していました。本項では、朝鮮半島、台湾、樺太・千島、太平洋の島々で戦前の日本がどのように勢力圏を広げていったのかを概観します。
1943(昭和18)年2月にガダルカナル島を失って以降、太平洋方面の戦いは一気に日本軍に分の悪い状況になっていきました。
そして、西側の最前線であるビルマ(現在のミャンマー)でも、連合軍の反撃が始まりつつありました。
本項では、ここでも補給の軽視によって日本軍が大打撃を受け、太平洋戦争の中でも最も無謀と言われた「インパール作戦」を概観します。