日本軍

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  1882(明治15)年1月4日に明治天皇が陸海軍の軍人に授けた(下賜(かし)した)勅諭(ちょくゆ)
※勅諭…天皇がみずからさとすこと。また,その言葉。訓示的な意味を含む点において勅語とは異なる。詔諭。(出典:大辞林第三版

当時、西南戦争や自由民権運動など、社会情勢が不安定で軍部に動揺が広がっていたことから、軍部の精神的支柱を確立する目的で起草された。

出典:Wikipedia

 

○達乙第二號(一月四日)

陸 軍 全 部

本日別紙之通 勅諭有之候條右寫相添此旨相達候事(東京鎮臺士官學校敎導團ヘハ「勅諭本書ハ追テ可相渡候事」ノ但書ヲ加フ參謀本部監軍本部近衛局ヘ通牒尤近衛局ヘハ但書ノ趣意ヲ加フ)

 (別紙)

 勅 諭 寫

我國わがくに軍隊ぐんたい世々よヽ天皇てんのう統率とうそつたまところにそあるむかし神武天皇じんむてんのうつから大伴物部おほともものヽべつはものともをひき中國もろつくにのまつろはぬものともをたひらたま高御座たかみくらかせられて天下あめのしたしろしめしたまひしより二千五百有餘年いうよねん此間このあひださまうつかはるにしたがひて兵制へいせい沿革えんかくまたしば〳〵なりきいにしへ天皇てんのうつから軍隊ぐんたいひきたま御制おんおきてにてときありては皇后くわうごう皇太子くわうたいしかはらせたまふこともありつれと大凡おほよそ兵權へいけん臣下しんかゆだたまふことはなかりき中世なかつよいたりて文武ぶんぶ制度せいどみな唐國風からくにぶりならはせ六衞府ろくゑふ馬寮めりやう防人さきもりなとまうけられしかは兵制へいせいとヽのひたれとも打續うちつヾける昇平しようへいれて朝廷てうてい政務せいむやうやく文弱ぶんじやくながれけれは兵農へいのうおのつからふたつわかいにしへ徴兵ちようへいはいつとなく壯兵さうへい姿すがたかはつひ武士ぶしとなり兵馬へいばけん一向ひたすらその武士ぶしともの棟梁とうりやうたるものみだれとも政治せいぢ大權たいけんまた其手そのておよそ七百年のあひだ武家ぶけ政治せいぢとはなりぬさまうつかはりてかくなれるは人力ひとのちからもて挽回ひきかへすへきにあらすとはいひなからかつ我國體わがこくたいもどかつ我祖宗わがそそう御制おんおきてそむたてまつ淺間あさましき次第しだいなりきくだりて弘化こうくわ嘉永かえいころより徳川とくがは幕府ばくふ其政そのまつりごとおとろあまつさへ外國ぐわいこくことともおこりて其侮そのあなどりをもけぬへきいきほひせまりけれはちん皇祖おほぢのみこと仁孝天皇にんかうてんのう皇考ちヽのみこと孝明天皇かうめいてんのういたく宸襟しんきんなやまたまひしこそかたじけなくもまたかしこけれしかるにちんいとけなくして天津日嗣あまつひつぎけしはじめ征夷大将軍せいいたいしやうぐん其政權そのせいけん返上へんじやう大名小名だいみやうさうみやう其版籍そのはんせき奉還ほうくわんとしすして海内一統かいだいいつとうとなりいにしへ制度せいどふくしぬこれ文武ぶんぶ忠臣ちゆうしん良弼りやうひつありてちん輔翼ほよくせる功績いさをなり歴世祖宗れきせいそそうもはら蒼生さうせいあはれたまひし御遺澤ごゆゐたくなりといへともしかしながら我臣民わがしんみん其心そのこヽろ順逆じゆんぎやくことわりわきま大義たいぎおもきをれるかゆゑにこそあれされは此時このときおい兵制へいせいあらた我國わがくにひかり耀かヾやかさんとおもこの十五年かほど陸海軍りくかいぐんせいをはいまさま建定たてさだめぬそれ兵馬へいば大權たいけんちんふるところなれは其司々そのつかさ〴〵をこそ臣下しんかにはまかすなれ其大綱そのたいかうちんみづからこれあへ臣下しんかゆだぬへきものにあらす子々孫々しヽそん〴〵いたるまてあつ斯旨このむねつた天子てんし文武ぶんぶ大權たいけん掌握しやうあくするのぞんしてふたヽび中世以降ちゅうせいいこうごと失體しつたいなからんことをのぞむなりちん汝等なんぢら軍人ぐんじん大元帥たいげんすゐなるそされはちん汝等なんぢら股肱ここうたの汝等なんぢらちん頭首とうしゆあほきてそ其親そのしたしみことふかかるへきちん國家こくか保護はうごして上天しやうてんめぐみおう祖宗そそうおんむくいまゐらすることるもさるも汝等なんぢら軍人ぐんじん其職そのしよくつくすとつくさゝるとにるそかし我國わがくに稜威らいづふるはさることあらは汝等なんぢらちん其憂そのうれひともにせよ我武わがぶ維揚これあがりて其榮そのえい耀かヾやかさはちん汝等なんぢら其譽そのほまれともにすへし汝等皆なんぢらみな其職そのしよくまもちん一心ひとつこヽろになりてちから國家こくか保護はうごつくさは我國わがくに蒼生さうぜいなが太平たいへいさいはひ我國わがくに威烈ゐれつおほい世界せかい光華くわうくわともなりぬへしちんかくふか汝等なんぢら軍人ぐんじんのぞむなれはなほ訓諭おしへさとすへきことこそあれいてやこれへむ

一 軍人ぐんじん忠節ちゆうせつつくすを本分ほんぶんとすへしおよそせい我國わがくにくるものたれかはくにむくゆるのこヽろなかるへきして軍人ぐんじんたらんもの此心このこヽろかたからてはものいようへしともおもはれす軍人ぐんじんにして報國ほうこくこヽろ堅固けんごならさるは如何程いかほど技藝ぎげいじゆく學術がくじゆつちやうするもなほ偶人ぐうじんにひとしかるへしその隊伍たいごとヽの節制せつせいたヾしくとも忠節ちゆうせつぞんせさる軍隊ぐんたいことみて烏合うごふしゆうおなじかるへしそも〳〵國家こくか保護はうご國權こくけん維持ゆゐぢするは兵力へいりよくれは兵力へいりよく消長せうちやうこれ國運こくうん盛衰せいすいなることをわきま世論せいろんまどはす政治せいぢかヽはらす只々たヾ〳〵一途いちづおのれ本分ほんぶん忠節ちゆうせつまも山嶽さんごくよりもおも鴻毛こうもうよりもかろしと覺悟かくごせよ其操そのみさをやぶりて不覺ふかく汚名をめいくるなかれ
一 軍人ぐんじん禮儀れいぎたヾしくすへしおよそ軍人ぐんじんには上元帥かみげんすゐより下一卒しもいつそついたるまて其間そのあひだ官職くわんしよく階級かいきふありて統屬とうぞくするのみならす同列同級どうれつどうきふとても停年ていねん新舊しんきうあれは新任しんにんもの舊任きうにんのものに服從ふくじうすへきものそ下級かきふのものは上官じやうくわんめいうけたまはることじつたヾちちんめいうけたまはなりと心得こころえおのれ隷屬れいぞくするところにあらすとも上級じやうきふもの勿論もちろん停年ていねんおのれよりふるきものにたいしてはへて敬禮けいれいつくすへしまた上級じやうきふもの下級かきふのものにむかいさヽか輕侮驕傲けいぶけうがう振舞ふるまひあるへからす公務こうむため威嚴ゐげんしゆとするとき格別かくべつなれとも其外そのほかつとめてねんごろ取扱とりあつか慈愛じあい專一せんいち心掛こヽろが上下一致しやうかいつちして王事わうじ勤勞きんらうせよもし軍人ぐんじんたるものにして禮儀れいぎみだかみうやまはすしもめぐますして一致いつち和諧くわかいうしなひたらんにはたヾ軍隊ぐんたひ蠧毒とどくたるのみかは國家こくかためにもゆるしがた罪人ざいにんなるへし
一 軍人ぐんじん武勇ぶいゆうたふとふへしそれ武勇ぶいゆう我國わがくににてはいにしへよりいともたふとへるところなれは我國わがくに臣民しんみんたらんもの武勇ぶいゆうなくてはかなふましして軍人ぐんじんたヽかひのぞてきあたるのしよくなれは片時かたとき武勇ぶいゆうわすれてよかるへきかさはあれ武勇ぶいゆうには大勇たいいゆうあり小勇せういゆうありておなじからす血氣けつきにはやり粗暴そばう振舞ふるまひなとせんは武勇ぶいゆうとはがた軍人ぐんじんたらむものはつね義理ぎりわきま膽力たんりよく思慮しりよつくしてことはかるへし小敵せうてきたりともあなどらす大敵たいてきたりともおそれすおのれ武職ぶしよくつくさむこそまこと大勇たいいゆうにはあれされは武勇ぶいゆうたふとふものは常々つね〴〵ひとまじはるには温和おんくわ第一だいいちとし諸人しよにん愛敬あいけいむと心掛こヽろがけよよしなきいゆうこのみて猛威まうゐふるひたらははて世人よのひと忌嫌いみきらひて豺狼さいらうなとのごとおもひなむこヽろすへきことにこそ
一 軍人ぐんじん信義しんぎおもんすへしおよそ信義しんぎまもることつねみちにはあれとわきて軍人ぐんじん信義しんぎなくては一日いちじつ隊伍たいごうちまじりてあらんことかたかるへししんとはおのれこと踐行ふみおこなとはおのれぶんつくすをいふなりされは信義しんぎつくさむとおもはゝはじめより其事そのことへきかへからさるかをつまびらか思考しかうすへし朧氣おぼろけなること假初かりそめうべなひてよしなき關係くわんけいむすのちいたりて信義しんぎてんとすれは進退しんたいきはまりてどころくるしむことありゆとも其詮そのせんなしはじめ能々よく〳〵こと順逆じゆんぎやくわきま理非りひかんか其言そのこと所詮しよせんむへからすと其義そのぎはとてもまもるへからすとさとりなはすみやかとヾまるこそよけれいにしへよりある小節せうせつ信義しんぎてんとて大綱たいかう順逆じゆんぎやくあやまある公道こうだう理非りひ踏迷ふみまよひて私情しじやう信義しんぎまもりあたら英雄豪傑えいゆうがうけつともかわざはひほろぼかたねうへ汚名をめい後世のちのよまてのこせること其例そのためしすくなからぬものをふかいましめてやはあるへき
一 軍人ぐんじん質素しつそむねとすへしおよそ質素しつそむねとせされは文弱ぶんじやくなが輕薄けいはくはし驕奢華靡けうしやくわびふうこのつひには貪汚たんをおちいりてこヽろざし無下むげいやしくなり節操せつさう武勇ぶいゆう其甲斐そのかひなく世人よのひとつまはしきせらるゝまでいたりぬへし其身そのみ生涯しやうがい不幸ふかうなりといふも中々なか〳〵おろかなり此風このふうひとたひ軍人ぐんじんあひだおこりては傳染病でんせんびやうごと蔓延まんえん士風しふう兵氣へいきともおとろへぬへきことあきらかなりちんふかこれおそれてさき免黜條例めんぢゆつごうれい施行しかうほヾ此事このこといましきつれとなほ其悪習そのあくしふいでんことをうれひて心安こヽろやすからねはことさらまたこれをしふるそかし汝等なんぢら軍人ぐんじんゆめこの訓誡おしへ等閑なほざりになおもひそ

みぎごう軍人ぐんじんたらんものしばしゆるかぜにすへからすさてこれおこなはんにはひとつ誠心まごヽろこそ大切たいせつなれそも〳〵このごうわが軍人ぐんじん精神せいしんにしてひとつ誠心まごヽろまたごう精神せいしんなり心誠こヽろまことならされは如何いかなる嘉言かげん善行ぜんかうみなうはへの裝飾かざりにてなにいようにかはつへきこヽろたにまことあれは何事なにごとるものそかししてやこのごう天地てんち公道人倫こうだうじんりん常經じやうけいなりおこなやすまもやす汝等なんぢら軍人ぐんじんちんをしへしたがひて此道このみちまもおこなくにむくゆるのつとめつくさは日本國にほんこく蒼生さうせいこぞりてこれよろこひなんちん一人いちにんよろこびのみならんや

明治十五年一月四日

御 名

 


 

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